読書感想文は、読み手を意識した文章を書く訓練になっていたのかもしれない
わたしが小学生の頃、いちばん本気で取り組んでいた夏休みの宿題は読書感想文だった。
何日もかけて、下書きから何度も推敲して仕上げていた。
続きが気になるような、つかみの冒頭文。
説得力をもたせるために織り交ぜる、自分自身のエピソード。
題材にした本から学んだ道徳的な教訓と、それを伝える印象的なフレーズ。
これらの要素をわかりやすく組み立てた文章構成。
誰に習うでもなくやっていたことだけど、いま振り返れば、文章を書くときの大事なポイントをそこそこおさえていたように思う。
そして根底では、「どんなことを、どのように訴えかければ、講評をするであろう学校の先生の心を打つことができるのか」を考えていた。
その結果、市内のコンクールではほぼ毎年入賞することができた。
「読書感想文は、本を読んで感じたことを自由に、素直に書くべきである」「大人に気に入られるような内容に寄せるなんて意味がない」という意見もあるかもしれない。
かくいうわたしも、当時は読書感想文に限らず「先生に好かれるようないい子」として振る舞っていた節があり、あのとき書いた文章が自分の心からの言葉なのかと問われたら、正直少し自信がない。
けれど、読み手である「学校の先生」を意識することで、ターゲットを意識した文章を書く訓練ができていたともいえるのではないか。
だからわたしは、読書感想文に真剣に取り組んだ経験は、その後のあらゆる文章を書く場面で役に立ったと思っている。
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