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ひとえに「ほんやさん」 〜昭和・平成・令和の書店のアレコレ

書店、いわゆる「本屋さん」がどんどん無くなっている。

その波は個人経営店舗だけに関わらず、(歴史的観点から憚らずに唱えるならば)それらの個人経営店舗たちをなぎ倒していった大手チェーン書店らでさえも、その波風をモロに受け倒れているのは周知の事実だ。

そういった流れに対して何がしたい訳でも無い。
寧ろ何かできる訳でも無い。
ただ、自分の愛した時間と空間でもある場所(本屋)が、他者へ経験の共有ができなくなるという事実はとても悲しい。

そこで、だ。
どうせ何かできる力など持ち合わせていないのだから、今回では自分の好き勝手に書店への思いや備忘録をここに連ねておこうと思う。
何、見苦しい?
人間なんて生きていれば誰でも見苦しいもんだよ。
この微かな独り語りの中にもしかしたら何かしらのヒントが生まれるかもしれないじゃないの。


紙の本と電子書籍

現在の主流は勿論、電子書籍である。
一言で断じるのは簡単だが、この流れに至るまでには様々な紆余曲折があった。

時系列は置いといて箇条書きにしていくと、

  • 若者、特に若年層への活字啓蒙の失敗(活字離れ)

  • 中古市場への顧客流出

  • 万引き犯罪や割れ(違法アップロード)への対抗策→大手出版社からの広報誘導も繋がる

  • 生活環境の変化(大手ECサイトの台頭、PC/スマホからのアーリーアクセス、ミニマルライフ、ペーパーレス、そもそもの経済活動、等)

  • エンターテイメントに対する主軸の変化( 「見る/読む」から「眺める/体験する」へ)など

もっと色々あるだろうが、一枚岩でなく様々な理由が募った結果での「ともかく挙って電子書籍」なのである。
ただ、今回のテーマは「本屋さん」である。
電子書籍のマネタイズでは最低限出版社は守れても…これじゃ「書店に行く」の選択肢は生まれない。


(昔の)Village Vanguard


「遊べる本屋」のキャッチコピーも定着したVillage Vanguard (以降ヴィレヴァン)。
近年のヴィレヴァンはいわゆる「サブカル」の匂いを嗅ぎ分け、他企業/他ジャンルとのコラボアイテムを提供し話題性を継続させていく手腕を見せている。
いや、見せてはいるのだが…。
端から見て会社が大きくなるにつれ、その独自性も情報発信基地としての役割/影響力は昔に比べて衰えていっている…と感じてしまうのは正直否めない。

昔は店舗ごとに担当者やバイヤーの嗅覚で仕入れを行なっていたのであろうか、それぞれのヴィレヴァン店舗ごとには陳列された商品や棚のレイアウトの中に独特の拘りや個性を感じられた。
サブカル等の(本当に)特殊な本や重版のかからない新書も扱っていたケースもあり、手元に置きたい資料の駆け込み寺としても大変重宝していた。
なので、ヴィレヴァン店舗を巡る行脚もそれなりに楽しかった記憶がある。
そしてそこでの出会いによって自分の趣味や嗜好が増えたり、見聞が広がっていったりしていた。

その頃は店舗にお目当ての物が無く時間とただお金を消費してただけ、であっても異文化やサブカルの大海に塗れることができるという「対価」がそこには発生していて、その魅力に触れた者達がリピーターとなり、各店舗の礎を担っていく…。
それこそが「遊べる本屋」の真髄なのだと「勝手に」思っていた。

現在のヴィレヴァンはPOSで本部が全て管理しているらしく、店舗ごとの配布量も全てデータ管理で決めているらしい。
職場と社員を守る為の会社の体制として、実に立派である。
会社としては、だが。

コラボ企画先相手のセレクトはお見事、の一言に尽きる。
ただ今ではその箇所のみでしか過去のヴィレヴァンから感じ取られた「個性の魅力とその継承」を感じ取れないのは、ただただ悲しい。


COW BOOKS

東京都目黒区。

「everything for the freedom & book bless you.」
(すべては自由のために、そして本があなたを祝福しますように。)

をコンセプトに掲げ、2002年に創業された古書店、COW BOOKS(カウブックス)。

その出自からファンも多く話題も尽きないが、開店当初の話題の一つに店内に椅子を配置し、内容を吟味しながら本をセレクトできるよう什器(椅子の設置など)を配備したことがあった。(その後ジュンク堂書店池袋本店が続く。)
また店内でコーヒーも出していて、(現在の)book&coffee潮流の先駆けのお店として。
そしてショップのブランド化の展開等も加味して。
書店生き残り戦略の観点からも語る上で重要な店舗であることは間違いない。



かつての池袋芳林堂ビル7Fには混沌とオアシスがあった。


紆余曲折の末、現在では株式会社アニメイトの子会社が管理することとなった芳林堂書店(以下芳林堂)。
その芳林堂も以前は東京都豊島区に自社ビルを構え、同所に(都内ビルなので主に縦に)大きな旗艦店を携え、チェーン展開をもする立派な大規模書店であった。

当時はそのビルのエレベーターに乗り、7Fで降りて、その先。
正面/右手には白色蛍光灯に照らされた古書店の高野書店の本が所狭しと並んで(積み上げられて)おり、マジック関連のアイテムもあったりしていた。

そして左手には暖色灯と採光性の高い窓から差し込む陽射しで構成された喫茶店、栞(しおり)があった。

そこでは「埃と古紙の匂い/エレガントモチーフの洗練された空間の同居」が同フロアで隣接しあっていて「これが大人の階段か…」と錯覚していた記憶がある(笑)。

まぁその辺りの詳しいことは当時にその環境を愛した他の方々にお任せする。

かつて芳林堂7Fにあった喫茶店「栞」は、書店併設のカフェとしては最古参の部類に該当すると思うのだが(芳林堂ビルは1971年設立)、言いたいことはそこ(起源提唱をしたいわけ)じゃない。

来店した者に鮮烈で素敵な思い出を残せたこと、テナントながら芳林堂のレシートを持参したら¥100引きになること、そして想像するに中で働くスタッフにもひと時のオアシスになっていたんじゃないか、ということ…。

いわゆる、芳林堂と栞の関係。
栞と、そこを利用する客との関係。
客からの(当時の)芳林堂への信頼関係は言わずもがな。

良質な関係性は良質な空気を生み、それはサービスにも伝播する。

という現代においては理想論めいた空間と関係性。
それは、遥か昔に確かに存在していた。

※個人的にはコーヒーとアイスサンド(砕かれたヘーゼルナッツがふんだんに入ったチョコレートアイスをパンで挟んだサンドイッチ)が好きでした。

こちらはWayback Machineで掘り出された当時の芳林堂のサイト。


※青山ブックセンター


古書店の話題が続いたので(芳林堂も元々古本屋からの創業)、四方山話として個人的に写真/デザイン/音楽/建築関連でお世話になった青山ブックセンターの話をば。

その個性と専門性から一部に熱狂的なファンを持つ同社。
こちらもトラブルの憂き目に会い二度の倒産を経験している。

二度目の再建に名乗りを挙げたのは、新刊本の行き着く先の一つでもある大手古書チェーン店を持つブックオフコーポレーション株式会社(2024年現在)であった。
新刊を売る書店の親会社が古本を売る会社、という、やもすればおとぎ話のような出来事が実際に起こったのである。

そして現在も青山ブックセンターはブランドイメージのカリスマ性は損なわず、屋号もそのままに現代で永続している。
二度の破産からの再生から15年以上存続させていることは特筆。

※道理で一時期BOOK OFF周りで専門書や洋書の新古書を見かけた訳だ。
全てではないが理由の一端ではあると思う。




オンリーショップ(が過ぎる)


オンリーショップ(only shop)とは、1つのメーカーの商品、あるいはひとつのブランドの商品だけで構成されているファッションの専門店をさす。
和製英語。
ブランドの個性、コンセプトをショップに当てはめたデザイナーズブランドのショップを表現することが多い。
──ファッションブランドを中心に映画、アート、音楽、コスメ、グルメなどを紹介する日本最大級のライフスタイルメディア「Fassion Press」より。

コンセプトショップやコラボカフェも含めると近年では日本中で当たり前となった文化の一つだと思う。

北海道札幌市に札幌軟石を運搬する馬車鉄道の事務所として建てられた木造の建屋の2Fに、とある詩人への愛(いわゆるファン)から始まり、その詩人からの公認も得、現在ではその詩人の日本随一のオンリーショップとまで言われているカフェが存在している。


2024年11月13日。
日本が世界中に誇る才能、谷川俊太郎氏が逝去された。
日本の宝である氏の訃報への悲嘆に暮れる中、惜しむ声と慰めの言葉、そして献花の念を込めた花が日本中からそのカフェにも届けられた。

そんな「俊カフェ」は世界で唯一の「谷川俊太郎(本人)公認、谷川俊太郎オンリー」のカフェであり、谷川俊太郎さん関連の閲覧用書籍が約500冊も用意されている(らしい…。実はその数は800冊オーバーとも言われている)。

そして俊カフェは「谷川俊太郎オンリーショップ」としても機能していて、そちらでは谷川俊太郎の著書や関連する書籍、CD・グッズ(!?)などの販売も行われ、いちファンの一念は現在でも偉人の才能と我々とを繋ぐ架け橋となって北の大地にて営業を続けている。



※本当に余談ですが谷川俊太郎氏と作曲家のDECO*27氏の世代を超えた対談を茶化して話題に挙げていた不貞な輩に対して、を綴った拙い記事も書いているので、よろしければ不愉快を水に流せる心の広い方だけご一読いただけると幸いです。


どうやら長くなりそうなのでテーマ内容だけダイジェスト


TSUTAYA及び蔦屋書店などを抱えるカルチュア・コンビニエンス・クラブ株式会社は蔦屋書店の主要店舗にコンシェルジュを配備。
蔦屋書店のイメージアップに一役買っている。


大日本印刷の子会社である丸善CHIホールディングスの完全子会社である株式会社丸善ジュンク堂書店の旗艦店、ジュンク堂書店池袋本店(早口言いたかっただけw)では、今まで4Fのカフェで行われていたイベント関連を、9Fの一部を改装しイベントスペースにして再始動。
こちらも好評を得ている。

以前メロンブックスの通販部に質問を投げかけた際に、担当者様と現通販サイトの操作性についての話題になり、サイトの利便性について細やかながらの私見を述べさせていただいた。
数日後(ホント1~2日後ぐらい)、その箇所は直ちに修正されていて正直ビビると共に、相互の利と理が合致した時のスピード感には目を見張るものがあった。
それは確かに「ネットワーク上でもサービスを感じられる」という貴重な体験だった。



…と、ここまで大手企業や有名所を挙げつつ書いてきたが、チェーン書店の中でも割と融通の利くところや外部に開かれているような個人の書店でも小さなブースを開いていたり、読み聞かせのイベント企画を打ったり、SNSでの交流を盛んに行ったり…と地域に根付いた活動をしている店舗も存在。
勿論本けの導入のアプローチなのだが、そこのは担当者の人と成りが垣間見れて、つい応援したくなる。


締め


上記はほんの一部だ(なんかカフェの話題も多かった気もするがw)。
本屋は自分にとっては楽しい場所だけど。
多分このままだと、書店業界はもっと萎んでいくのでしょう。

自分はほんの末端(いち客)なので、業界に対して何かを言える立場では無い。

ただ思い出があったり、お気に入りのお店があったり。
配信で事足りるこの時代にイベントが盛況だったり、大手がコンシェルジュを動員したり、と。

(ここから雑に纏めていくが、)施策に合わせ、それに対して人が集う以上、やはり書店は市井の文化活動の一環を担っているし、更には人的コミュニケーションが今後の書店営業の鍵の一端を握っているのではないか?と思ってしまう。

本を読めば知識/教養と出会える。
本を読めば歴史上や違う世界の人達を知れる。
本を読めば身だしなみや作法が知れる。
本を読めば…。

電子書籍は電力が使えなくなったり、配信元のトラブルに巻き込まれたらもう終わりである。
図書館の本は貸し出し中もあったり、中には貸し出し不可の本も存在したりで、心細い。

そこで買い切りの本であれば、(コンディションさえ整えておけば)古書であろうが禁書であろうが、自分が死ぬ間際でもアクセス可能だ。

寂しい書き方をしてしまったが、別に孤独という訳じゃない。
先にも書いたが、本屋によっては定期的にイベントを開催している店舗もある。
そこに集まるのは同好の士だ。
恐る恐るでも構わないので、一所懸命にアクセスすると良い。きっと一人ぐらいは、真の意味での同好の士と出会えることだろう。

また、もし書店に行って取っ掛かりが見つからないのであれば、そこで働く書店員さんに声を掛けてみるといい(勿論作業中はダメだが)。

そこで働く誰もがあなたの何百倍も本に触れている。
少なくとも注目作程度は答えられるだろうし、(タイミングが合えば)その筋の担当者に取り次いでもらえる。
本に詳しくなければ担当者になれないだろうから(正しくは出版社や取次にも明るくなければ難しいだろうが割愛)、これも云わば同好の士の一人だろう。
そういった現場の関係者から教わることも、コミュニケーションの一環でもある(下心は論外)。

要するに、本屋は必要最小限の人数(自分1人から)でできる、自分と何か(様々な意味での)とを繋ぐ出会いの場(コミュニケーションスペース)である、とも言える。


そう言えば「文庫本を閉じた時に丁度拝むような形になるのは、著者と著作に対するコミュニケーションの一環だ」と誰かが言ってた。
それを踏まえて現状の「本屋さん」の有様は、とても勿体無いことのように見える。

あなたの街の本屋さん、行ってみませんか?
人生を共にする「何か」と出会えるかもしれませんよ!!



記事作成に当たって、OSAKA-BC様に拙記事の一つを紹介していただけたことが今回のテーマ内容の切欠とモチベーションに繋がりました。
本当にありがとうございました。



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