見出し画像

成功を「自分だけの力で成し遂げた」と思うほど痛い姿はない

介護の仕事は、オムツ交換や入浴介助などの肉体業務もあれば、利用者(高齢者)とともに掃除や洗濯をすることもある。

本質的な意味では、コミュニケーションこそ介護の仕事とも言える。ご家族などの関係者とのやり取りも介護の役割である。

このように「介護」という仕事は多様・多岐に及ぶが、やはり仕事である以上、うまくいくときもあれば、うまくいかないときもある。

うまくいかないときは、利用者の身体状態によることもあるが、気分や勘雨情の変化などに由来することもある。

例えば、午前中まではニコニコして介助に応じていた利用者が、午後になると途端に表情が険しくなり介助に応じないどころか怒鳴ったり、介護職員の手を振り払うとする方がいる。すると、午前はうまくいったと思うが、午後になるとうまくいかないという観点になる。

これはまだ分かりやすいほうだ。この傾向が分かれば、午後に声掛けなどの関わり方や介助のタイミングを変えてみるといった対策がとれる。

しかし、相手は人間だ。高齢者に限らず、人間はランダムばかりで行動も感情も予測不可能な生き物だ。

高齢者に限らず、他人に対し「自分が思ったとおりに、うまいことやろう」と思うことは傲慢である。

人間をコントロールすること・コントロールできるなんて不可能だ。




しかし、このような傲慢な考えを控えるどころか、周囲に対して「〇〇さんの介助は、自分のときはうまくできている」と自信たっぷりに言う介護職員がいる。

例えば、食事介助に時間がかかる利用者に対して「自分のときはスムーズに食べてくれますよ」と言ったり、不機嫌な利用者のトイレ介助に対して「自分のときは素直に応じてくれますよ」と言う。

もちろん、これはその介護職員の介助の仕方がうまいということもある。実際、相手がベテランだろうが新人だろうが、スムーズな介助法ができると言うならば私はその場を見学している。参考にできることがあれば真似る。

しかし、その人個人のスキルによるものでないと気づくことがある。それは総合的かつ俯瞰した視点で対象の利用者の介助を見ていると分かる。

――― 結論から言えば「たまたま」うまくいっているだけである。
「自分のときはうまくできている」のはタイミングが丁度良いだけなのだ。

それなのに「自分の手柄」「自分ってスゴいだろう」みたいな振る舞いをすると、その真実を知っている人たちからは、良い評価を得るどころか、ただの”痛い奴”に思われてしまうことはご理解いただきたい。



 
介護はチームプレイである。
個人のスキルやその場の対応だけで成立することはない。

もしも「自分のときはうまくできている」と思うならば、その介助を行うより前に、他の介護職員がどのような介助や関わりをしていたかを確認すれば良いと思う。

それは1時間以内の話ではない。最低でも24時間以内で観測すればいい。
すると、いかに他の介護職員が四苦八苦しながら介助やコミュニケーションを図っていたのかがわかるはずだ。

もしかしたら、ご家族や医療従事者などの関係者の働きかけもあるかもしれない。施設であれば日中だけでなく夜勤者の孤独な奮闘だってあろう。

1人1人の取り組みが、まるでリレーでバトンを渡すように紡ぎ合わさって1人の利用者の支援が成立する。

そして、そこまでの色々な人たちの働きかけが積み重なって、その利用者のコンディションが良好になったタイミングで「うまくできた」となっているだけの話だ。

決して個人の力でうまくいっているわけでない。だから、うまくいっているのは「たまたま」なのだ。

そのような他の介護職員や関係者の努力を無視して「自分のときはうまくできている」と自信満々に言う姿を指して”痛い奴”とするのは当然である。




なお、これは介護の仕事だけの話ではない。すべての仕事に言えることだ。

仕事とは、個人がその場でうまくやって終わりというわけにいかない。
前準備や後処理、そして経過観察や評価をもってクロージングするものだ。

例えば、ドラマや映画の役者さんは演技をし終えただけで終わらない。演技を終えて「カット!」となったら、ちゃんとモニターで自分の演技を客観的に確認する(全員とは言わないが)。あるいは監督からの判断を受ける。

また、演技とはシーンを繋ぎ合わせたものなので、自分が演技をしていない場面も含めてその作品がどのように完成されたのかを確認する。そこで初めて自分の演技や役割の意義を知ることができると言う。

もっと言えば、役者という仕事の評価を得るには、やはり視聴率や来場者数といった世間的な数字を得ることも大切だ。また、現代ではネット上のレビューだって重要だろう。

ここでは例として役者さんを取り上げたが、言わんとすることは、仕事とはその場で自分がやったことだけを見るのではなく、終わった後に全体を俯瞰してみること、という話だ。

そしてそれは、購入者やサービスのユーザがモノやサービスを受け取ったあとの満足度も含む。ここまで総合的かつ俯瞰したうえで期待以上の成果を得られたならば「自分はうまくやった!」と言えると思う。

しかし、そのときには個人の力を誇示することなく、多くの人たちの力があってこそ成立したことであり、またモノやサービスを手に取ってくれた方々の評価があってこそと気づけるだろう。


――― 自信をもつことは悪いことではない。

しかし、自分が関わったことの成果は自分だけの力ではなく、そこに行き着くまでに多くの人達から受け取ったバトンに多くのエネルギーが蓄積された
からということにも真摯に目を向けてほしい。

そうすれば、本当の意味で周囲から評価を得られると思う。


ここまで読んでいただき、感謝。
途中で読むのをやめた方へも、感謝。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?