感謝は「求める」よりも「与える」
人手不足と言われる中でも、介護現場で働こうとする人はそれなりにいる。
これは非常にありがたい話である。しかし、面接などでお話を聞いている段階でお断りすることがある。
実際に働いてもみないうちに不採用とするくらいだから、余程の人だろうと思われるだろうが、そうではない。むしろ、常識はそこそこあるし挨拶もできる。介護で働こうとする動機も本人なりに明確になって応募している。
それなのに、なぜ働く前に不採用にするのか?
それは介護で働こうとする動機が、本人のイメージだけで期待に胸を膨らませているからだ。
言い換えると、実際に介護現場で働いてみてのギャップに打ちのめされてしまったり、「考えていたのと違った」といって辞めてしまう可能性が高い、ということだ。
割とありがちなのは「介護は感謝される仕事」というイメージである。
利用者(高齢者)相手に対して何かしらの介助を行い、それが終わると利用者から「ありがとね」「いつも悪いねぇ」といったような労いの言葉をかけてもらえると期待しているのだ。
もちろん、利用者からの感謝の言葉をいただく場面は多々ある。しかし、それは介護というサービスを行うたびに受けるわけではない。
むしろ、介護という仕事の特質上、いわゆる暴言や暴力をともなう抵抗にあったり、何なら自宅や居室に入ることすら困難なこともある。難聴や失語、認知症の症状から意思疎通が困難であることも珍しくはない。
そのような方々を相手に感謝の言葉を求めようとしていると、実際に働いたときに報われない気持ちになってしまうのは目に見える。
だからこそ、介護に対して過剰な理想を抱いている場合、面談した相手によっては働く前に現実をお伝えする。それでも良いと言う人もいるが、実際に働いてみると徐々に愚痴が出始めたり、利用者に対しての当たりが強くなっていく。
高齢者介護や認知症ケアの基本や心構えを教えたり、その都度の指導は行うが、結局「この現場は思ったのと違う」と言って辞めてしまう。
そのような人のその後は分からない。高齢者からの感謝が得られる介護現場を探し歩くのか、介護という仕事に落胆するのか、あるいは介護の仕事の本質に気づいていくのか・・・それは個人の問題だ。
そもそも、仕事とは感謝を求めることが目的ではない。
仕事は「与える」ものであって「求める」ものではない。
「求める」のは相手(お客さん)であって、その求めに応じて課題解決や希望を叶えることで価値を「与える」のだ。
その対価としてお金という対価をいただく、それだけの関係性である。
なんだかドライな言い方であるが、それは真実であり社会の成り立ちだ。
事業理念で「社会を良くしたい」というのだって、社会に何かしらの課題や発展の余地があるから、それに気づいている人たちが「与える」取り組みを考える。それがビジネスとなって社会の一部になっている。
反対に「感謝されたい」という事業理念はない。自分を持ち上げてほしいならば、お金を払えば満たされるサービスはたくさんあるが、感謝もお金も確実に貰える仕事なんてない。
介護という仕事は、利用者の課題やニーズをもとにサービスを提供して、その対価として(介護報酬および)利用者からお金をいただく。それが仕事した結果として給料になる・・・それだけのことだ。
それは他の仕事も同様である。
雇用契約書のなかに給与や手当などは記載しているだろうが、「感謝」という言葉は盛り込まれていないだろう。それが全てである。
何だか身も蓋もない内容になったが、「感謝されそうなイメージがある」というだけで介護の仕事に就こうというのは期待外れだ、ということだけはお伝えしたい。
それでも感謝を求めてしまうならば、感謝というのはふとした瞬間にランダムに訪れるものと思っていただきたい。だからこそ、慌ただしい介護現場において、たまに感謝の言葉をいただけるからモチベーションになるということもある。
それに、感謝というのは言葉もあるが、高齢者の生き様やあり方からも感じることができる。
――― 苦手だった利用者が、いつも通り介助を終えた後に急に『いつも悪ぃな』と言ってきたことから苦手意識がなくなった。
――― 介助のたびに暴れていた利用者が、自身の死を悟ったときに介助する職員一人一人に「ありがとね」と言ったこともある。
――― 食へのこだわりが強かった利用者が、病気の進行から食事量が落ちていくにつれて「これ、あんたが食べなさい」と笑顔で差し出してきたこともある。
このような様々な高齢者のあり方・生き様を見てきて思うことは、感謝とは求めることではないということだ。
感謝こそ「与える」ものなのだ。
感謝を求める気持ちは分かる。
しかし、求めてばかりでは得られない。
むしろ、自分が求めているものは「与える」という姿勢でいたほうが、人生は充実するのではないだろうか。
ここまで読んでいただき、感謝。
途中で読むのをやめた方へも、感謝。