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悩みや苦しみは言語化して「どうでも良い」の境地に至る

自分の気持ちを言葉にすることは有意義だと思う。

悩みや苦しみを言語化にすることで、モヤモヤしている気持ちの原因が具体的になる。ときには、それらが大した問題じゃないと気づくこともある。

その方法として、紙に書く、パソコンやスマホでテキストに打ち込む、人に話すなど様々だ。

いずれも、悩みや苦しみを言語化するときは最初はうまくいかない。しかし、言葉にしているうちに取っ掛かりが生まれ、そこから溢れんばかりに自分が抱えているものが次々と湧き上がる。

このような状態を恥と思わなくていい。
悩みや苦しみを言語化するということに「没頭」していこう。

「没頭」している最中は悩みの苦しみの内容そのものは関係ない。湧き上がるように出てくる悩みや苦しみが支離滅裂で整合性がとれなくてもいい。

――― そうしているうちに、ふと我に返る。
いくら抱えている悩みや苦しみが大きくても、「没頭」するほどに自分の中にある感情を言語化していると誰でも疲れてしまう。空腹になるし喉も渇く。脳と体を一気に使ったことから眠気が出てくる。

「没頭」するほど悩みや苦しみを言語化したことによって、目を向ける先が強制的に肉体へと移行する。
ここでは何も考えられなくていい。常に悩みや苦しみで考えているのだから、あとは食べて、ボーっとして、寝てしまおう。

悩みが解決しなくても、苦しみの原因が分からなくてもいい。
そういうものは、考えているうちは生まれてこない。むしろ、休んだあとでふと解決策を思いついたり、物事の本質が見えてくる。

悩みや苦しみという感情に紐づけされていたものが、自分や現実といった具体的な事象に視点が変わる。悩みの解決法ではなく、苦しみの原因よりも、それらから得られた気づきや学びのほうが大切に思えてくるようになる。

すると、最終的に自分が悩んでいたことや苦しみのアレコレがどうでも良くなってくる。悩みや苦しみに対して「どうでも良くなる」という状態こそが悩みや苦しみからの解放だと思う。

――― 悩みや苦しみを抱いているならば、言語化しよう。紙に書いたりテキストアプリに打ち込んだり、誰かに話そう。

そして、自分の内面が溢れてきたら止めることをせずに「没頭」するほどにどんどん言語化しよう。わけわからなくなろう。

言語化しすぎて疲れたら休もう。何も考えなくていいし、何も考えられなくていい。

そうして「どうでも良い」となったら、そこが1つのゴール。
そこからまた「どうでも良い」ことばかりの日常を生きよう。

でも、また悩みや苦しみが勝手に生まれる。そうしたらまた、それらを言語化すればいい。そうして「どうでも良い」までのプロセスを続ける。これが人生であり成長なのかもしれない。


ここまで読んでいただき、感謝。
途中で読むのをやめた方へも、感謝。

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