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認知症という異文化交流

認知症は「アルツハイマー型認知症」「血管性認知症」「レビー小体型認知症」「前頭側頭型認知症」といった種類に分けられる。これらは単一として扱われることもあれば、その症状から複合的に扱われることもある。

これはあくまで診断結果であり、それを土台として医療・介護の専門スキルをもって認知症ケアを行っていく。

この認知症の診断結果は面白いもので、医師によって診断が異なることもある。これは専門医かどうか、その方の症状や日常をどこまで具体化されているかなどによって変わると思われる。

そのため、介護という立場においては、可能な限り認知症(と思われる)の方の行動や症状を具体化し、適切な認知症ケアにつなげたいところである。 
 



グループホームを運営していると、色々な認知症の症状を見る。
いや、もはや「色々な」では済まされないほど個々に症状が違う。

もちろん、「アルツハイマー型認知症はこのような傾向がある」「前頭側頭型認知症はこのような状態が顕著に表れる」といった目安はある。しかし、だからといって型に嵌めた対応をすると失敗する。

それは同じ種類の認知症と言っても、その症状はその人それぞれの人格や人生によって異なるからだ。症状が異なるということは、同じものを見ているようで捉え方や認識が全く異なるということだ。

見ている世界が異なるということでもある。世界が違うということは言語や文化が異なるということでもある。認知症の方と話していると、同じ言語なのに、まるで海外の方と会話をしているような感じになってしまう。



 
 
そう、認知症ケアとは、いわば異文化交流なのだ。

お互いに同じ言語を使っているけれど、文化や価値観、そして生き方が理解し合えない状況と言えばわかるだろうか?

但し、その異文化交流は常にそうだというわけでない。ちゃんとお互いに意思疎通できるときだってある。何かのタイミングで異文化交流になったり、何の前触れもなく異文化交流が始まることがあるだけの話だ。

考え方によっては、道端を歩いていたら海外の方に外国語で道を聞かれたときの感覚とも言える。「何言っているの? 日本語でおk」だ。

あるいは、観光地でその土地の人であれば当たり前のマナーを、何も知らない海外観光客が傍若無人に振るまう場面を見かけた感覚にも近い。

当人たちに悪気はない。ただ、自分なりの生き方や価値観を、その場にそぐわない形で言葉や行動として表しているだけのことだ。

困惑する状況に対してなるべく感情的に受容し、相手が何を言いたいのかを理解しようとする ――― それが異文化交流であり、認知症ケアである。


――― 同じ国や地域に住んでいても相手の言葉や態度にイラっとしたり、考え方や価値観がまるで違う人間を相手にする場面は多々ある。
それに加えて認知症となると社会性や分別が欠如したり、排泄や買物など日常生活に支障をきたす状態になる。それに付き合うことになる介護者は疲弊してしまう。

こんな「頭で分かっているが感情的になってしまう」という認知症に携わっている介護者の悩みは少しでも減らしたい。認知症というものに対してこのように考えれば少しは気楽になるのでは? と思って文章にした次第だ。

反論もあるかもしれないが、1つの考え方として参考にしていただければ幸いである。


ここまで読んでいただき、感謝。
途中で読むのをやめた方へも、感謝。

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