「えこひいき」に良い印象がない理由
■ 「えこひいき」という言葉の印象
「えこひいき」という言葉に、多くの人は良い印象を持たない。
「えこひいき」は漢字だと”依怙贔屓” と書く。その文字面から意味は想像しにくい。(漢字だと分かりにくいので、平仮名のまま話を進める)
意味としては「特定の人物(対象)を目にかけること・優遇すること・公平ではない扱いをすること」である。まぁ、特別扱いということだ。
では、なぜ「えこひいき」に良い印象を持たないのかというと、「特別扱いをすることは良くない」「誰もが平等であるべき」という世間的な考えに由来していると思う。
しかし、誰もが平等であるなんてことはあるのか?
■ 「えこひいき」はどのように生まれるか?
予めお伝えしておくと、誰もが平等である社会が理想であり、様々な差別や不条理を是正しようと奮闘している人たちを否定しているわけではない。
本記事でいう平等とは、社会的な問題に追求するものではなく、あくまで職場や学校などの限定された話であることをご了承願いたい。
その前提でお伝えすると、
私は「平等は成立しない」と思っている。
そして「えこひいき」を肯定している。
それは、「えこひいき」が生まれる状況を客観的に見てみると理解いただけると思う。
まず、「えこひいき」をするのは主に目上の立場の人が一般的だ。
これは会社の上司や部活の先輩などが想定される。
そして、その「えこひいき」する人から特別に目をかけられる人——つまり「えこひいき」をされる人がいる。最後にその場には「えこひいき」されない人がいる。
つまり・・・
「えこひいき」する人
「えこひいき」される人
「えこひいき」されない
・・・となる。
ここでポイントなのが、「えこひいき」されない人が、「えこひいき」する人と「えこひいき」される人を観測するからこそ、「えこひいき」が成立するという点である。
極端に言えば、「えこひいき」する人と「えこひいき」される人の2人だけならば、「えこひいき」は成立しないとも言える。
つまり、「えこひいき」とは、「えこひいき」されない第三者がいるからこそ成立する話なのだ。
■ 「えこひいき」されない人の心理
そして、この「えこひいき」されない第三者の視点こそが、世間が「えこひいき」に対して良い印象を持っていない理由とも言える。
それは、
「あいつは特別扱いされている」という不満と、
「自分は特別扱いされていない」という不満だ。
その根源は表面的には「誰もが平等であるべき」という倫理のような考えである・・・と言いたいが、おそらくそうではないと思う。
特に目の前で特別扱いされている人がいて、一方で特別扱いされていない自分がいるなると、
「自分のほうが特別扱いをされてしかるべきだ!」
という思いが湧くのが人間というものである。
そうして、特別扱い、つまり「えこひいき」をされている人の悪いところを探し始めたり、反対に自分のほうが優れている理由などを探し始める。
そうして、「えこひいき」されている人はチャンスがたくさんもらえているのを見ては、
「あいつは実力があるわけでないのにズルい!」
「自分のほうが頑張っているのに認められない!!」
「きっと裏で上司に取り入っているに違いない!!!」
などと嫉妬に心をかき乱してしまう。
このように、「えこひいき」をされていない人が「えこひいき」と観測した結果、不満や嫉妬心などの感情が湧き上がり、「えこひいき」は良くないものという印象を抱くと思われる。(ややこしくて申し訳ない)
そうして、「えこひいき」している人が間違った評価をしているとなったり、「えこひいき」されている人は意味もなく評価されているという歪んだ認識が生まれてしまう。
■ 「えこひいき」も評価のあり方
まあ、ここまではあくまで(強引な)理屈であるが、どうだろう?
「えこひいき」に対して歪んだ印象を抱いたところで、「えこひいき」されていない人の心は救われることはない。ただただ、感情を乱して苦しんでいるだけではないか。
そのような「えこひいき」をされない人たち、それで苦しんでいる人たちに対して、管理職として人事評価をする立場としてお伝えしたいことがある。
私は「えこひいき」されるには理由がちゃんとあると思っている。そして「えこひいき」する人は、しかるべき理由があって、潜在的あるいは意識的に「この人にチャンスを与えたい」と思うとも考えている。
つまり、「えこひいき」は1つの評価のあり方なのだ。
そのため、「えこひいき」されている人を見て嫉妬に狂ったり、「えこひいき」している人を見て不満を抱くよりも、
自分が「えこひいき」される人になる
を目指したほうが健全であると言える。
――― では、どうすれば「えこひいき」される人になるのだろうか?
・・・という話まですると長くなるので、明日以降の記事にまとめたいと思う。もし、お目通しいただけたら幸いである。
ここまで読んでいただき、感謝。
途中で読むのをやめた方へも、感謝。