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他人の悪いところばかり探す暇があれば自分の日々の行いに目を向ける
職場ではスタッフ間での不満が噴出することがある。
いわゆる人間関係の話であるが、例えば次のような話が出てくる。
「Aさんは口調がキツイので、あれだとお客さんが恐がってしまいます!」
「Bさんは作業が雑なので、フォローする身にもなってほしいです!」
「Cさんは口ばかり動かして、手を全然動かさないのイライラする」
そして、次にはこのような不満に対して「上の人間は何もしてくれない」「会社は動いてくれない」などの不満も口にする。
しかし、実際は上司や会社は対処していることはお伝えしておく。意外かもしれないが、このような不満の原因というのは、経営者でも管理者でも当然のように知っている。何なら目の当たりにしていることが多い。
介護現場であれば、そこから虐待や苦情、介護としての質の低下、職場における業務への支障・・・このようなことを総合的に考える。
そこでトラブルが大きくならないようにその場で注意することもあるし、個別面談や指導というカタチで改善するように働きかけをする。
・・・しかし、残念ながら1回や2回ほど注意したくらいでは、改善することはない。そもそも、注意された本人は自覚がないことが多い。むしろ、自分は仕事ができていると強く思っている人もいる。
そのため、役職者がいくら注意や指導をしても改善されないことから、上司や経営者に対して不信感を抱くという構図が生まれる。いやはや、こればかりは時間をかけて啓蒙活動するしかない。
一方、不満を口にしている人たちに問いたいことがある。
――― 他人に不満を言うからには、自分はちゃんとできているのか?
おそらく「そんなの当然です」「できているから目につくんです」と言った回答が想定される。
しかし、あえて言いたい。ケンカを売るつもりはないが言いたい。
あなたが誰かに抱いている不満は、あなた自身もできていない。
――― 同僚の介護スタッフの口調がキツイと言うが、ではそれを不満に思っている自分は利用者に対して優しい口調なのか?
――― 作業が雑な人のフォローばかりと言うが、自分はすべてを手を抜かずに行い、誰にもフォローしてもらっていないのか?
――― 雑談1つ言わず、自分の役割を粛々と全うしているのか?
いじわるで言っているわけでないが、さすがにこのように突っ込まれると「うーん、自信ないかも」と思われるだろう。
忙しさや疲労からついつい口調がキツくなることは誰でもあるし、ちょっとした凡ミスを周囲がカバーしてくれることはある。ちょっと面白い出来事があると、業務中でも嬉々として話し込んでしまうことはあろう。
もしも、このようなことがゼロであると確信しているならば、他人に対して不満を言えばいいだろう。しかし、そうでなければ「いや、自分だってあることだよな」と気づくことが、不満を言うよりも優先事項だと思う。
もちろん、このように書いている私だって不満を言うときはある。口にしないまでも心で思ってムカムカすることはある。人間だもの。
しかし、そういうときは大抵の場合、自分の日常の振る舞いを棚上げしていることが多い。不満を抱いて数日後に、何かしらの出来事を通じて「あ、自分も同じことしている」と反省する。
そもそも「他人を変えることはできない」という事実がある。
上記でお伝えしたような問題あるスタッフに注意や指導をしても、すぐに改善しないのも同様だ。そして、そのような動きを上層部がしても現場や職場に分かってもらえないことだって同様だ。
ならば、他人の振る舞いに問題があるとしても、いちいち不満や怒りを抱くことは不毛であると思うべきなのだ。
それはつまり、「他人の過失を見ない」ということでもある。
一方、「自分のあり方は変えることができる」という事実もある。
他人のあれこれでイライラしている暇があれば、「あの人の振る舞いは不満だが、もしかして自分もやっていないかな?」と振り返り、問題なければその自分を継続して、少しでも問題があれば改善に向けて努力するだけだ。
それはつまり、「自分の行動を見つめる」ということでもある。
仏教では次のような教えがある。
――― 他人の過失を見るなかれ。
――― 己のしたこと・しなかったことだけを見よ。
この教えは私自身が常に肝に免じていることである。
他人の振る舞いにイライラしたとき、それを脳内で繰り返すことは精神にとって良いことではない。そのため、まずは他人のイライラする振る舞い(過失)に目を向けることをやめる。
それよりも自分の日常の振る舞いを振り返り、「ちょっとキツく言い過ぎたかも」「あの人の考え方をもっと聞けばよかった」と考えて、次に同じような振る舞い(過失)をしないよう改善する。
とは言え、これは「後悔」ではない。後悔は自分の過失をいつまでも何度も脳内で繰り返して「うわー、自分って愚かなり」と過剰になるのに対して、自分の振る舞いを振り返るとは一度きりの作業だ。それっきりにする。
これにより、自分の改善に目を向けているので、他人の振る舞いをあれこれ思い悩んだりイライラすることがなくなる。不満も少なくなる。
特に仕事においては、職場という環境に色々な環境で過ごして色々な価値観を持っている人たちが一同に集合する場で活動する。
そこでいちいち他人に振る舞いを抱いていたらキリがない。そこで「一度ガツンと言ってやろう」と思いたくなるかもしれないが、それは大抵の場合、不満を抱いている人の役割でない。
上司や職場が動いている気配がなくても、それに対して改善を強硬突破しようとすると事態を悪化させた莉余計なトラブルを誘発する。
もしも自ら注意や指導をしたいのならば、職場でそのような立場になるまで頑張ればいいと思う。きっと、その立場になったときに見えてくるものがあるはずだ。
――― もちろん、自分に対して目を向けたところで他人の不満はなくならない。しかし、自分が変わることで周囲が変わることはある。それは即効性はないが、じわじわと波及させていくように変えていくしかない。
そのためにはまず、「他人の過失」を見ずに「己のしたこと・しなかったこと」に目を向けよう。
ここまで読んでいただき、感謝。
途中で読むのをやめた方へも、感謝。