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なぜ介護業界はテクノロジーを受け入れないのか?

介護現場の人手不足という事実に対して、テクノロジーによって生産性向上を狙う動きがある。

これとは別に、介護現場でこれまで「感覚」で行ってきた支援から「根拠」を用いた支援へと推奨する動きもある。

介護業界におけるこのような取り組みは、今に始まったことではない。
そして大きく変化しているとも言えない。

もちろん、徐々に浸透はしつつある。しかし、色々な介護現場を見渡すとアナログかつ個人の主観で介護が行われている現状である。

別にすべてをデジタル化すれば良いというわけではないが、日本が他国に比べてデジタル化が遅れているという現実を目の当たりにする。




では、なぜ介護業界ではデジタル化が遅れているのか?

それは2つ理由が考えられる。

1つは「人手があれば介護現場の問題はすべて解消される」という誤解だ。

人手不足がすべての問題であって、デジタルは人手にカウントされないので興味の対象にならない。

そこで、デジタル化に費用を投じるくらいならば人材確保に投資したほうが良いという認識になってしまうのだと思われる。

もちろん、介護の仕事は直接的に人の手を要する場面が多いので、あながち間違っているわけではない。

だが、介護現場のすべてが直接人の手を要するというわけではない。

今自分たちが介護現場でやっている仕事を見渡せば、人の手を使わなくても良い仕事はたくさん見つかるはずだ。




では、人手を要しない仕事とは何か?

「思考する作業」がその1つだ。例えば、介護施設で入浴介助をどのような順番で行うのかを考えるとする。入浴介助の順場は、その日その後の動きに関わるので重要だ。

しかし、大変失礼な言い方になるが、介護現場の方々は「タイムスケジュールを組む」とか「プランを形にする」といった思考作業が苦手だ。

そこで一定条件を入力することで、AIが効率的かつ最適なタイムスケジュールを提示してくれるならばどうだろう?

それまで時間と頭を消耗しながら行っていた「思考する作業」をせずに済むのだ。これは人手を要しない介護現場でも有効な話ではないか。

これは夢物語ではない。現代のテクノロジーとして実現可能な話なのだ。
音声認識やセンサなども進化している。

多忙な介護現場で何人も頭を抱えながら四苦八苦しているより、テクノロジーの力を借りたほうが有意義と言えまいか。




介護現場でデジタル化が遅れているもう1つの理由は、単純な話である。
「テクノロジーへの理解不足」だ。

ちなみにこれは、テクノロジー(技術)だけではなくサイエンス(科学)に関しても同様である。

どんなにテクノロジーやサイエンスが進歩しているところで、介護現場では、自分たちが見ているものや体感している出来事だけがすべてになってしまう傾向がある。

もちろん、これらは大切なことである。高齢者の支援を行ううえでは主観的な要素も貴重な情報だ。しかし、目の前に映っている範囲がすべてと思うのは幼稚としか言えない。

このような考え方は介護現場ではときどき伺える。極端な言い方だが「現場で働いている自分たちは正義」で「それ以外は無駄である」とうことだ。

このような認識だから介護業界でテクノロジーやサイエンスが進歩しても、ただ小難しくて自分たちには関係のない世界だとしてシャットアウトしてしまうのだ。




また、テクノロジーやサイエンスは頭の良い人たちが机上で考えたことであって、現場では使えるものではない――― という、ある意味で馬鹿にした言動もまた聞くことがある。

しかし、これこそ大きな誤解である。

介護業界のために示されたテクノロジーやサイエンスは、すべて介護現場で生まれたものである。研究者だけでなく現場スタッフだっている。

ぜひ、彼らが試行錯誤しながら創造してきたものを、ないがしろにしないで欲しい。このような介護現場で努力して生まれた成果を「現場では使えない」と馬鹿にすることは、介護現場で奮闘している自分たちを馬鹿にしているのと同義だということに気づいていただきたい。


――― 別にすぐに介護現場へ提示されたテクノロジーやサイエンスを受け入れて欲しいというわけではない。

しかし、一歩視点を外に向ければ「へぇ~、いいものあるじゃん」ということはたくさんある。

このように書いている私もまだまだ知らない技術はたくさんある。だからこそ、周囲に理解されないかもしれないが、手に触れたいし試してみたい。

有効か否かは考えずに、まずは楽しみながらテクノロジーに触れていただければ幸いである。


ここまで読んでいただき、感謝。
途中で読むのをやめた方へも、感謝。


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