介護の実情を訴えるほど見向きもされなくなる。ならば、ビジネスとして投資してもらえるような夢を語ろう
高齢化社会において「介護難民」「人手不足」というワードは絶えない。そのうえ、本年は訪問介護の基本報酬が引き下げられた。
以前より、介護業界の危機はニュースを見ない人でも既知のことであり、その待遇改善について多くの人たちが声を上げてきた。
しかし、その実態は変わることはない。それどころか悪化している。
このような実情を国は知らないのか? いや、そんなことはない。むしろ、介護に携わる人たちからの「介護現場はこんなにも大変!」という実情を聞いたうえで悪化していると言って良いだろう。
それは何だか質(たち)の悪い話のようであるが、普通に考えれば当たり前のことかもしれない。
予めお伝えしておくと、別に国を擁護しているわけではない。地域包括を謳っておきながら訪問介護の報酬を下げたのは矛盾していると、誰もが思っていることくらいは胸に抱いている。
ただ、いくら「介護の実情は大変なんです!」と訴えたところで大きな力を動かすまではいかないということは、最近改めて思っている。
実情を訴えるということは、大抵の場合はそこそこ悪化している状態である。分かりやすく言えば、仕事で部下から「困ったことになりました」と相談を受けたときにはトラブルに発展しているようなものだ。
そこそこ悪化している状態から持ち直すには、それなりの労力と時間がかかることは誰でも分かる。できることと言えば、その場しのぎくらいだ。
しかし、日本という国における高齢化社会の問題は、その場しのぎも困難な状況になっていると言える。そのうえで根本的な打開策を見いだせずにいることから、何に労力と時間をかければ良いか迷走している。
――― では、どのようなアプローチをすれば良いのだろうか?
まずは「実情を訴えるというスタイルをやめる」ことだと思う。
悲劇に対して同情や共感して寄付を募ることはあるが、それは特定の個人の悲惨な実情に対して効果があって、介護のような社会全体の問題に対してはあまりにリアルすぎて同情や共感が得にくい。
また、ビジネスという観点から見ると、「介護の実情は大変だ!」ということは「介護分野はビジネスとして魅力がない」と思われてもおかしくない。
悲惨な状態なのは分かるが、いわば泥船に乗るような分野にわざわざ投資しようなんて思う酔狂な人はいないだろう。また、いつも悲惨な状態と言っている業界で働きたいと思う人もいないだろう。
お金と時間を費やしたいと思うのは、いつだって魅力的な分野に限る。
そこにビジネスチャンスがあれば、多くの投資家が出資するだろうし、国だって動くだろう。
「社会問題を解決」「慈愛の精神」をスローガンにすることは構わない。
また、「介護の実情は大変だ!」と言いたい気持ちも分かる。実際にそのような現状なのは上記のとおりだ。
しかし、それでは誰も動かせない。
悲劇ばかり訴えるより、介護に対して魅力を語る必要がある。
だからと言って、「介護の仕事のココが楽しい」ということを語ることではない。「介護に投資すれば儲かる」という夢を見せる必要がある。
それは口八丁のペテン師になれという意味でなく、世の中に対してお金を集めるため、お金を出したいと思えるためのPR活動やプレゼンが必要だと意味である。
本記事を読んで、キナ臭いと思っていただいても結構である。しかし、事業を営んでいる立場からすると、介護もまたビジネスであることは強調したいところだ。
お金の話が嫌ならばボランティアでもすればいい。但し、ボランティアもまた、人手や資金という現実がつきまとう。というか、何をするにしてもヒト・モノ・カネはつきまとう(そして現代では情報も)。
いきなりビジネスやマネタイズにつなげる必要はないが、いつまでも介護の悲劇を訴えても前には進まない。介護業界もビジネスという意味で社会に夢を語る時期ではないか。
もう遅い? いやいや、まだ遅くはないはずだ。
ここまで読んでいただき、感謝。
途中で読むのをやめた方へも、感謝。