いつもイライラしている人ほど、あれこれ手を出しすぎている
なぜあの人は、いつもイライラしているのか?
いつもイライラしている人がいる。なぜイライラするのかと言えば、自分が思ったとおりにいかないからだ。
なぜ思ったとおりにいかないのかと言えば、生きているということは他者を介在していることであり、個人の意思で他者を思ったとおりに動かすことは不可能だからだ。
職場でも「そうじゃないって!」「わかってないなぁ!」と声を荒げる人がいるのは、そのことに気づいていないからだ。
なぜ、他者を思ったとおりに動かすことは不可能だと気づかないまま、ただひたすらにイライラしているのかと言えば、それは性格が悪いのではなく余裕がないだけだと思う。
では、なぜ余裕がないのか? それはイライラしている人ほど、あれこれと手を出しすぎているからだ。
自分のキャパシティを超えてあれこれ手を出していると、1つ1つのクオリティが下がってしまう。自分が介在しなければいけない(と思っている)ことや把握しなければいけない(と思い込んでいる)ことが多いため、脳がショートしてしまう。それは肉体疲労や脳疲労というカタチで表れる。
そして肉体に起きていることは精神にも起きてしまう。その精神に起きてしまうこととして「余裕がない」という状態になってしまう。「余裕がない」ということから、いつもイライラするようになってしまう。
つまり、あれこれ手を出しているから疲れてしまって余裕がなくなり、結果的に常にイライラした状態になってしまうという話だ。
自分の状態を自覚する難しさ
となると、あれこれ手を出すことをやめれば、いつもイライラすることなく精神的にも肉体的にも良好になるということになる。
・・・とは簡単には事は運ばない。
というのも、いつもイライラしている人は、自分がいつもイライラしている状態だと自覚していないことが多い。「あなたはいつもイライラしてますね」なんて伝えても火に油を注ぐだけだ。
仮にイライラしていると自覚できたとして、そこで「あれこれ手を出すことをやめてはどうでしょう?」と伝えたところで、おそらく当人はあれこれ手を出しすぎているという自覚がないだろう。
また、「自分がやらなければいけない」という必要性や使命感から、気が付けば色々なことに手を出しすぎている状態になっていることもあり、それを1つでも手を引くことは難しいということもある。
このように、いつもイライラしている人を鎮静化するには、自身の精神状態に気づいてもらうとともに、自分が関わる範囲を狭くするということが必要だが、それはひどく困難なことなのだ。それこそ病気や怪我などで強制的かつ物理的に動けない状態になるしかない。
頑張らなくてもいいことから手を引き、そして没頭する
実際、このような状態になって初めて自身の状態に気づくという話を、著名人のエピソードでも耳にしたことがあるだろう。そのような人たちは自分のあり方を客観視し、言ってしまえば「そこまで頑張らなくて良かった」と気付いて生き方を変えている。
一度でも休止状態になって冷静に自己を見つめることができれば、いつもイライラして焦っていた自分の愚かさに気づける。さらに「あれこれ自分が関わる必要はなかったんだな」と気づくこともある。
それはある意味で自己否定かもしれない。なぜならば、自分がいなくても世の中は回るということに気づくことでもあるからだ。
しかし、完全なる自己否定ではない。見方を変えれば、自分が別に関わらなくてもいいことが分かることであり、それによって自分が本当に関わるべきことに集中できるということでもある。それは没頭できることだ。
没頭できることがあればイライラする暇なんてない。そもそも、イライラするということは暇だからイライラしてしまうのだ。
イライラを誘発する「頑張らなくてもいいこと」から手を引いて、自分が没頭できることに注力するのがベターなのだ。
――― とは言え、現代では個人で色々とやらなければいけないことが多い。だから多くの人たちはイライラしたり精神的に病んでしまうのだろう。
「頑張らなくてもいいこと」を見つけたところで「結局は自分がやるしかない」と頑張ってしまうことが多いのも事実だ。
しかし、それは本当に自分がやらなければいけないことだろうか? そもそも、やらなければ誰かが困るようなことなのだろうか? その場で意味もなく慣例でやっていることではないだろうか?
このようなことを掘り下げていけば、案外「頑張らなくていいこと」はたくさん見つかるものである。特に仕事においては数多に見つかるはずだ。
とりあえず、最近イライラすることが多いと思ったら、自分があれこれと手を出しすぎている、手を広げている、口を出しすぎている・・・といったことを疑ってみてほしい。それは自分自身だけでなく周囲にも不快な思いを与えている可能性もある。
そもそも「やらなければいけないこと」なんてない。そう思えば、気楽に自分が手を出している範囲を狭めることもできるのではないだろうか。
・・・ということを、かつての自分および現在の自分から考えた次第である。私もまだまだ未熟者であり、あれこれ手を出しすぎてイライラすることはしばしばある。そうした自覚とあり方を見直すことが大切だと思いながら「ああ、今日もどうでもいいことでイライラしてしまったな」と反省する日々だ。
ここまで読んでいただき、感謝。
途中で読むのをやめた方へも、感謝。