「お受験vs中学受験」どちらが幸せか?
こんにちは。けいえすです。
TheUPDATEの「お受験vs中学受験」を観て、改めて子供たちの教育方針を考えてみた。
私の場合、姉弟含めてお受験・中学受験ともに経験したことがなかったので、経験則からのコメントはできないが、親として自分の子供の教育方針をどうするか?を考えてみたい。
方針①
「大学に行って就職をする」という固定観念の排除
つまり、「大学っていくものだよね」「大学卒業したら企業に就職するもんだよね」といったような、旧来の固定観念を親が捨て去り、子供の中に「こうあるべき」という変な刷り込みを回避していきたい。
いかに安定した、ローリスクな人生を送るか?という問いに対して、これまでの最適解は「大学に行って就職をする」であったと思う。
しかし、私がわざわざ言うまでもなく、そのような時代はとうに過ぎ去り、VUCAの時代到来と言われている。不確実なことばかりで予測不能な世の中を生きていかなければならない。
そのため、「大学に行って就職をする」をはじめとする、古い固定観念を親がまずは捨て去る必要がある。私自身も、親が不安定な職業であったため、勉強しろと言われたことはなかったが、どこかの企業にきちんと就職をしなさいと言われ続けていたため、就職=安定した生活に繋がるという考えは刷り込まれていたと思う。
もはや大企業=安定というのは平成の時代から崩れ去っており、いかに時代や世の流れにアジャストできる能力を具えているかが重要だと思う。
では、「大学に行って就職をする」こと自体が悪いかと言うと、そういうことではない。それが世間一般の常識で、大勝はできないがサクセスストーリーであるという考えを染み込ませたくはない。なので、大学に行く必要もなければ、就職もしなくて良いということではない。
まずは親世代の「こうあるべき」を捨てよう。
方針②
親が学び続け、アップデートする
子供に言う前に、まずは自分。
親はアップデートしなくてもよいのか?
ただ単純に何かを学ぶ、というだけではなく、学びの在り方、進学の在り方、労働の在り方、人生の生き方、を見つめなおす機会となるようなことを、一緒に考え続けていかなければならないと思っている。
自分もそうだったように、親世代(自分)の「当たり前」や「こうあるべき」が、子供たちが大人になる時代に則している内容なのかどうかを考える必要がある。実際に則していない内容が多いはずだ。
未来予測といった高尚なことは一般人では難しい。であれば、世の中の動きに敏感になり、なるべく早くにその動きを察知し、対処できるように常に身構えておく。また、いかようにでもアジャストできるように、自分自身のアップデートも怠らない。
予測能力ではなくアジャスト能力。
いきなりはアップデートできない。日々の積み重ねでしかない。三日坊主してもいい。翌日からまた再開すれば良い。
いきなりオリジナルはできない。最初は模倣だ。模倣の中からオリジナルになれば良いし、必ずしもオリジナルになればよいということでもないと思う。
子供は親の背中を見て育つと言ったように、親がまずは率先して行動に移さないとならない。頑張ってない奴に、頑張れって言われても、って話です。
方針③
自由と責任
生きる術として普遍なものもあると思う。
私の親は、子供がやりたいと言ったことに対して、常に全力投球で応えてくれていた。(もちろん経済的な問題により断念も少しはあったけども)
ただしそこには必ず責任も発生していた。
「あなたがやりたいと言ったのだから、自分が選んだ道(モノ・コト)は、必ず最後までやり通せ」
一見、嫌なことでも忍耐し続けてやりきらなければならない、と受け取れるが、そうではない。
突破力だ。面白くなるまでやる、つまらない中にも自分なりの面白さを見つける、これが突破力であり、親の言わんとしていたことだと理解している。
ただし、子供が本当に嫌なのか、ただたんにめんどくさいのか、飽きてしまったのかは、見極めが必要だとも思う。本当に心底いやなことであれば、回避させてあげるのも親の務めではあるが、見極めは難しい。じっくりと子供との対話が必要だ。
いずれにせよ、子供のやりたい欲求は全て叶えてあげようと思う。責任とともに。
いつも親として自分はどうなのだろうか?と不安になるが、子育ては常に手探りである。正解は無いとは言うが、子供も親も人生を謳歌できるようになりたい。
以上