なにそれ、あやしい。
「アレクサンダーテクニークって怪しいと思ってました。」
先日直接言われたんです。
これってずっと言われ続けているもの。
検索すると出てきますからね。
残念だけどホントのこと。
なぜ怪しいのか、わからなかったんです。
でも思い返してみると、
私がアレクサンダーテクニークを知った時、
「あやしーー、なんだこれ」でした。
どういうところが怪しく感じたんだろ。
ある雑誌記事で知ったのですが、
グループレッスンレポート記事で、
参加者の全員がいいことしか言ってなかったところ、
だったような気がします。
全員がいいと思うわけない、そんなわけない。
まあ、でも、それでも私は
実際に足を運んでレッスンを受け、
入学し、その半年後には教師トレーニングを始めたんだから、
怪しいと思いながらも、
なにかしらの魅力を感じたんでしょうね。
今は、怪しいと思う気持ちが
なんとなくわかってきました。
それって、最近科学が言っていることでしょ、とか。
それって、ただのポジティブ病じゃないの、とか。
それって、現実から逃げてるだけじゃないの、とか。
それって、思い込んでるだけなんじゃないの、とか。
あと、何かの権威に頼っているのも問題な気がします。
リアリストからすれば、それは
ただの自己啓発に見えたりする。
リアリストでなくても、
いわゆる普通の人からしても
なんだか怪しい、となるような気もしています。
アレクサンダーさんの著書で、当時流行っていた
自己啓発系のことを取り上げていて、
自己催眠や思い込みなどを絡めて書いています。
自分で確かめたような気になっているけど、
それってただ思い込んでるだけなんじゃない?
潜在意識に働きかけて顕在意識を失わせていないですか、って。
彼は徹底的に事実から始めました。
自分はこうやって動いているつもりだけど、
鏡に映る自分を見ると、そうはしていない。
思っていること、やっていると思っていることは
実はやれていないかもしれない。
ただの思い込みなのかもしれない、と。
鏡の中の自分はそうしていないのだから。
ここから、感覚は嘘をつくということを導きました。
アレクサンダーテクニークは、
何年たっても、時代が変わっても、
人間の根本的なものを扱っているので、
古びる、なんてことは無縁なんです。本来。
こう言ったほうが今だったら伝わりやすいかな、
元々英語だったから、日本人に
日本語で言うならこう言ったほうがいいかな、とか
そういったものはあるでしょう。
いや、これらはどんどん考えていくものです。
刺激に対しての反応を抑制を通して
意識的にコントロールする。
現代の私たちは、身体を忘れ去っています。
アレクサンダーの説明でよく使われる
自分の使い方という言い方の
「自分」というのは、下手をすると
精神的なものと思われるくらいには
身体を忘れています。
そんなところに、
自分の使い方を教えますと言ったって、
怪しい、となるのがオチですよね。
自分に触れてみましょう、というと、
なに?変な宗教??となってしまう。
いやいや、私たち全員身体、持ってるでしょ、と。
「自分」という精神的なものと、
機械的な身体が合わさっている
と思っているのでしょうか。
chatGPTが流行ってますが、
そんなものは人間に追いつけるわけもない。
所詮機械です。意思なんてないわけです。
真善美もわからない、何かを体験することさえできない。
ただの論理と統計と確率なんかでしかないんですよ。
浜崎洋介さんが言ってましたが、その通りだと思います。
chatGPTがリアルで、私たち人間が幻想。
そんなふうにさえ感じます。
メタバースで育った食物が食えるか!で
本来終わりのはずです。
私たちは妄想もできるし、論理的に考えると
全くおかしなこともしたりします。
で、それが正解だったりする。
虫の知らせも受け取れるし、
遠方のおじいちゃんが死んだこともわかったりする。
こんなわけのわからないものが、人間です。
元々、怪しい存在なんです。
あー、怪しいものを扱っているから
怪しく感じるのか。