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綺麗さっぱり。

テクニック、技術を習得するには
それなりの時間と修練が必要です。

音楽演奏の技術を身につける過程では
それなりの訓練や知識、
繰り返し練習などが必要なのと同じです。

車を運転できるからといって
レーサーの話がわからない自信あります。
自転車にも乗れますが
競輪選手の深い話はわからない自信があります。

同じように、私たちは自分の身体を
日々使って生活していますが、
専門的に訓練していない方が多く、
考えなくても生活できてしまうから
なにも考えずにきてしまった。



現在いろいろな身体に関しての技術やメソッドがあります。
その中でなぜアレクサンダーテクニークなのか。

100年ちょっと伝わって来ているものであること。
人間の根本的なことを扱っていること。など。

人間そんなにすぐは変わらないので
ずっと学ぶ価値はあり続けています。

私が知らないだけで、ずっと続いてきたもの
たくさんあると思います。
流行ることなくずっと続いているものって
なんだかとても価値あるものに感じます。


根本的なもの。
私たちはなにか刺激を受け取ると
なにも意識せずにやっている反応があります。
その反応が現代を生きる私たちは
どこか違って来てしまっている。

このテクニックはそんな前提から始まっています。

反応を変えることで、
どこか違ってしまったものを
本来のものに変えていけるように、する。
そんなテクニックです。

アレクサンダーさんの著書に
こんなことが書かれているんです。
「刺激に対して反応しないようにしていたし、
いい使い方をしようともしていた。
しかし、いざやろうと決めたことをやるその瞬間
いつものどこか違ってしまっている使い方に戻ってしまう。」

いい使い方をしようとしているのにも関わらず、
いつものようにやってしまう。
行動に移す一瞬前まで考えていたものを
綺麗さっぱり忘れてしまって、
やろうと決めたことに意識が移ってしまう。
(わたしもいっぱい経験あります。)

つい、いつものようにやってしまうものを
変えていけるようにするテクニックが、
アレクサンダーテクニークです。

なにかをやろうとするその瞬間
(綺麗さっぱり忘れるその瞬間です)
少し立ち止まってつぎにどうしようか
改めて考えてみる。
次の行動を意識的に選び、実際に行動に移す。
その間ずっといいと考え出したものを思い続ける。

言うは易し、行うは難しなんですが。。。

でもなんでここまでやる必要あるの?
上書きである程度よくなるしそれでいいじゃない。

上書きしようとしたものって、
意識しているときはまだいいかもしれませんが、
無意識になってしまうとついつい戻ってしまう。
こんな経験したことありませんか。

改善しようとしている部分を変えようとして
その部分を意識して動かす。
その時他の部分はどうなのか。
おそらく、習慣のままになっている。
その習慣のままの部分の動きは
これから変えようとしている部分にまで
影響が及ぶので、片方だけを変えることは難しい。

部分はお互いに影響し合って
全体、全身として機能しているので、
ある一つの部分を変えようとしても
なかなか難しい。

その問題を根本的に解決しようというのです。

ついやってしまうものに自覚的になり、
ついやってしまう反応に待ったをかけ、
改めて次の行動を選び直す。

こうして初めて、ついやってしまうものに
新しく自分がやろうとしているものが、
勝ることができるようになるんです。


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ほりうちけーアレクサンダーテクニーク教師
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