罪を知るものに罪はない。
罪を知るものに罪はない。では、汝に問う。汝は罪人なりや?
罪の輪から、抜け出すことは、簡単ではない。
みなそれぞれの、罪の輪にとらわれ、何もかも、わからぬまま生きて、ただ、ときを過ごしている。
あなたは自分をつみびとだと思うか。
あなたは、自分の罪を償おうとしているのか。
あなたは、この罪の輪から、抜け出したいと思っているか?
罪の連鎖は、不幸の連鎖。不幸の連鎖は、生命の終焉。
あなたが、命を絶ちたいと思ったその時に、頭上に浮かぶ罪の輪は、まだあなたを幽世に手放すものかと、鈍く光るだろう。
あなたは、その罪の輪の鈍い光を、確かにその目に捉えた。
あなたの罪は、あなたが償う。
汝の願いを叶えよう。
聞き届け給う。聞き届け給う。
神はいないと信仰を否定しても、あなたは何処かで知らぬうちに肉に染み付いた神の教えをまだどこか忘れられずに生きているのだろう。死んでしまえないのだろう。
死んでしまえないあなたは、ずっと、ずっと、罪の輪の中。肉にとらわれて、精神から逃げ出したい、光が無くなる、あなたの目には、もはやあの時の遠い光すら、うつらない。
あなたは、罪を償いたいと思っているか。
あなた自身が、まだ整備し綺麗に敷かれたレールの上に身を投げ、意識を、そして、生きた証を、肉体の傷跡を、きれいにさっぱりと無くしてしまいたいとは思っていないのだろう。
あなたが罪を知るとき、あなたは罪人ではなくなる。
汝は罪人なりや?
きっと、心のどこかで、あの日の鈍い光を、受け止めている。
あなたの心と、あなたの目には、まだ、光をとらえる力がある。
思考は無限ではないし、命は無限ではない。
あなたの罪も無限ではないし、あなたの犯した誤ちは、けして赦されるものではない。
罪を知る者に罪はない。では、汝に問う。
汝は罪人なりや?
2020.11.02 3:03