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超濃密ミーティングは伝統的な日本企業には至難の業

医薬品開発者のKatsuさんが勤め先のアメリカ企業で実践し、意思決定速度を格段にアップさせている超濃密ミーティングを紹介なさっていますが、同じことを伝統的な日本企業が実践しようとしても、ほとんど不可能に近いくらい難しいのではないかと感じました。この記事では、そのあたりのところを書きます。

Katsuさんの記事はこちらです:

1.超濃密ミーティング/意思決定者個人の意志が貫かれる


Katsuさんが実践している超濃密ミーティングは、参加者をDAIに分けて、それぞれの責任を明確にするところから始まります。

D (Decision Maker)
提案し、最終的にデシジョンを行う責任者
A (Advisor):
自分の専門分野・責任部署からデシジョンに必要なことを、Dに責任を持ってアドバイスするアドバイザー
I (Informed):
デシジョンには責任を負わないが、最終的なデシジョンとその経緯を知る権利のあるプロジェクトのメンバー

〔Katsuさん記事から引用。楠瀬が体裁に手を入れています〕

そして、Dは、会議の冒頭で次のことを明示します。

※私はAという提案でデシジョンをしたいと考えています。
※その理由はX, Y, Zです。
※それぞれの専門分野・責任部署から何か考慮する点はありますか?
   -異議なし(賛成)、一部修正・変更、反対など
※逆に、私からは、特定の分野・部署にこのような点を尋ねたいです。
※また、特定の分野・部署からこのようなアドバイスを得たいです。

〔Katsu さんの記事を基に、一部、楠瀬が再構成〕

これを読む限り、どうも、Dは会議が始まる前に個人としての意思決定を済ませているらしく、会議は、その意思決定を修正しなければならない事情があるかどうかを確認する場という位置づけのようです。

Katsuさんが次のように述べているところからしても、《初めに意思決定ありき》の会議と考えてよさそうです。

乱暴に言うと「私の提案は~です。何か文句ありますか?」です。
〔Katsuさんの記事から抜粋〕

Dは、自らの提案の根拠X, Y, Zを説明するに十分な情報・データを、Aが会議までに理解し十分に準備できるだけのリードタイムを持たせて提供します。これを受けて、Aは準備万端整った状態で会議に参加することが求められます。

そして、Dは、以下のように会議をリードします。

Dは、Aのアドバイスを元に最終デシジョンの落とし所に向かってディスカッションを導いていかなければなりません。
ミーティングの最後でDは最終デシジョンと確認事項などを明確にします。特にAから出されたアドバイスで最初の提案に修正・変更の必要が生じたり、提案に反対意見が出た場合は、それによって生じたアクションアイテムなども明確に示す必要があります。

〔Katsuさんの記事から抜粋〕

Aからの反対意見やアドバイスを受けて修正や変更はするが、Dは、一貫して自らの意志を貫く。そういう会議の進め方になっているわけです。


2.伝統的日本企業の会議/ある決定を志向する空気の醸成が図られる


初めにお断わりしておかなければならないことがあります。私が伝統的な日本企業(と自他ともに認める企業)で働いていたのは2000年までです。その後の変化を見聞きする機会はありませんでした。また、勤め先の企業以外については、企業同士の会議や連絡会の場でうかがい知ることが出来たた範囲で語っています。

上述のような限られた経験に基づいての話ではありますが、私は、伝統的な日本企業では、意思決定のための会議は、個人の責任は明確にしないまま、ある決定を志向する空気を参加者の間に醸成するために行われると考えています。会議の主催者は、形式上は超濃密ミーティングでのD(意思決定者)に相当しますが、実質的には意思決定者というより、取りまとめ役です。

事前に情報提供されている場合でも(伝統的な日本企業は、これを丁寧すぎるくらいにやることの方が多い)、会議の冒頭で、参加者全員で改めて情報の確認・共有を行います。その場で情報を共有し、お互いの顔色をうかがうことが、空気を醸成する上で非常に大切だからです。

そして、参加者は自分または自分の部署が決定的な責任を負うことは巧みに避けながら意見を述べ、主催者(とりまとめ役)がそれを調整し、最終的には《なんとなく皆が合意した形で決定がくだされる》のです。

このような意思決定の形は、伝統的な日本企業がメンバーシップ型の雇用慣行の上に成り立っていて、元々、責任と権限の所在があいまいなことと密接な関係があります。

3.空気の醸成を重んじている限り、超濃密ミーティングの実施は極めて困難


空気の醸成が重んじられる場で、最もうとまれるのは、

「私の提案は~です。何か文句ありますか?」
〔Katsuさんの記事から引用〕

という姿勢です。みんなでなんとなく合意した形で結論を出そうとしているのに、「初めに結論ありき」みたいなことを言うのは《掟破り》だからです。

仮に、この掟を破って、自らの意志を押し通す人間がいたとしましょう。その場合、意思決定に伴うすべての実行責任が、彼/彼女にのしかかってくることになります。なぜなら、責任と権限があいまいな環境では、「面倒なことは、強引に自説を通した人に全部引き受けてもらいましょう」という”空気”になるからです。

したがって、日本企業で、トップの一貫した意志でかじ取りされているのは、圧倒的にオーナー社長の企業が多いということになるのです。一方、いわゆる「サラリーマン社長」が率いる企業は、なにかマズいことが起こった時に、誰が責任者なのかわからない「無責任体制」に陥る危険をはらんでいます。

現実の企業不祥事に関して「無責任体制」という批判がなされることがよくあります。私は、あれは誰かが責任逃れしようとして「無責任」になるというより、元々の意思決定過程そのものが「無責任」だった場合が多かったのだろうと思っています。

空気の醸成を重んじる意思決定は無責任体制につながりやすい一方で、組織に強力な慣性を生じさせ、必要な軌道修正を遅れさせるという面ももっています。このことについては、Katsu さんの次の記事に生々しい実例が登場します。

以上、とりとめのない説明になってしまいましたが、伝統的な日本企業で超濃密ミーティングを実現するのは至難の業であるということは、お分かりいただけたのではないかと思っています。

ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。

『超濃密ミーティングは伝統的な日本企業には至難の業』おわり





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