上司の部下指導(1)なぜ、上司は部下を「詰める」のか?
これから2回にわたって部下・後輩の指導について、職業生活を通して気づいたことを書きます。よくテレビドラマで、ノルマ未達の社員が上司からとことん責められ、追い詰められる場面が登場します。上司が部下を「詰める」わけです。ああいうことは、ドラマの中だけだと思いますが(思いたいですが)、実は、私たちは、人間の性質として、あれに近いことをやってしまう危険因子を持っています。今回は、その危険因子の話です。
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1.私たちの原因の見方は偏っている
私たちは、他人がトラブルに見舞われると、その人自身が原因でトラブルになったと考えがちです。それも、その人の行動ではなく、性格や素質といった内的なものが原因だとみなす傾向があります。トラブルが起きた経緯についての情報の不足から、こういう偏りが生じるのです。
自分がトラブルに見舞われたときは、自分の判断や行動だけでなく、自分が置かれた環境と周りからの影響も、見えています。だから、全て自分が悪かった……とは、なかなか、思いません。むしろ、「自分は悪くなかった。状況が不利だった」という方向で考えがちになります。
ところが、他人がトラブルに巻き込まれたケースで、しかも、私たちがその場にいなかった場合は、その人が置かれていた環境も周りから受けていた影響も、私たちには見えません。そのため、トラブルに巻き込まれた本人が悪かった(本人に原因があった)と思ってしまいやすいのです。
私たちの思考は、「本人に原因があった。オシマイ」で止まるものではありません。どうしても、その原因の中身を具体的に特定したくなります。
ところが、その場に居合わせなかったのだから、トラブルに巻き込まれた人の、その場での行動は見ていないわけです。
すると、どうなるかというと、その人が何をしているときでも、その人に作用している(と私が思う)要素に目が行くことになる。それが、性格や素質といった、その人の内的な傾向です。
その人が知り合いの場合は、その人の内的な傾向のうち、私が知っているもののなかから、起こったトラブルと関連づけやすいものをハイライトします。「イイ奴なんだけど、ちょっと調子に乗るところがあるから、考えなしに、やってしまったんだろうな」といった具合です。
その人を知らない場合、これが、なんと恐ろしいことに、起こったトラブルと関連がある(と私が思う)内的な特性をその人が持っていたはずだと決めつけてしまうことがあります。
「その人の言葉で相手が怒ってケンカになったのだから、その人は他人に配慮できない‶自己中”だったんじゃないの」といった具合です。怒ったほうが、夫婦喧嘩をして家を出てきたとか、前の夜にひいきの球団が負けたとかいった原因で虫の居所が悪かった可能性もあるのに、です。
話が長くなりました。整理すると、こういうことです。
A.私たちは、他人がトラブルに巻き込まれると、その原因は、その人自身
の性格や素質といった内的な要素にあると、考えやすい。
B.私たちは、自分がトラブルに巻き込まれると、その原因は、自分をとり
まく状況にあったと、考えやすい。
2.私たちは、他人を罰したがっている
友達、カップル、夫婦、親子の間で、自分が相手に期待していることを、相手がその通りしてくれないと、ガッカリするだけでなく、怒ってしまうことがあります。
人間は、自分の期待が満たされないと不快で不安で、そうなると怒りが湧いてくるのです。怒った側が、相手に対して「もう絶交だ」・「別れましょう」・「口を利く気もしない」・「あの約束はおあずけだ」などと、怒りの言葉を吐くことがあります。
この捨て台詞には、次の3つのタイプがあります。
➀怒りを吐き出さずにいられなかったが、吐き出して気が収まった
/デトックス
➁この言葉で相手も行動を改めるだろうと、計算している/恫喝
➂怒りを吐き出さずにいられず吐き出したら、ますます腹が立ってきた
/エスカレーション
①は、一応、今回は、ここで収まるわけです。後に尾を引くのは➁・➂です。➁の場合は、相手の行動が改まらないと➂へと進みます。③まで来たら、次は実力行使です。本当に、友人でなくなる、二度と会わない、一切無視する、約束を反故にする……という行動をとるわけです。
実力行使は、自分が不快で不満な気分にさせられたのだから、相手も嫌な目に遭わせてやるということです。これは復讐ともいえるし、罰ともいえます。
復讐と罰の距離は、それほど遠くありません。国家が警察と司法の制度を整えるのは、私的な復讐が横行しては社会秩序を保てないので、個人の復讐感情を100パーセントではないにしても満足させる代替品として刑罰を用意するのだとも考えられるからです。
ここまでの話を整理すると、
C. 私たちは、私たちを不快にする相手、私たちに不満を抱かせる相手に
対して罰を与えたくなる。
ということになります。
第1節から通しでA、B、Cとアルファベット順で整理しているのは、次の第3節で、A、B、Cの全てに触れるからです。
3.偏った原因の見方で他人を罰するのが「詰める」ことである
「詰める」という状況は、職場だけで起こるものでは、ありません。学校の部活動や政治団体の中でも起こります。
昔は、過激な政治団体の中で、「総括」という名のもとでメンバーを「詰める」ことがありました。総括は、本来は団体の活動内容を振り返って、団体として進むべきより良い方向性を探るという意味です。それが団体の中の異端分子をあぶりだして攻撃する場に姿を変えてしまっていたのです。
「総括」でググったら、noteのこの記事がヒットしました。興味のある方にはお勧めです。
話がそれました。職場における上司の部下指導に戻ります。
営業所長のαさんが、ノルマ未達のセールス・パーソンXさんを「詰めて」いる状況を考えます。
セールス・パーソン全員が集る定例会議。全員でノルマ達成状況のグラフをシェアしています。この場で、α所長が、「お前はやる気がないんだろう」、「お前は考えて仕事をしていない」、「お前はお客さんにちゃんと頭を下げていないのだろう。自分が〇〇大学を出ているからと思って、でかい態度をとっているからダメなんだ」等々と、Xさん責め続けている場面を想像してみてください。
この状況では、まず、Aが成り立っています。
A.α所長は、Xさんがノルマを達成できない原因は、性格や素質といった
Xさんの内的な要素にあると、考えてしまう。
そのため、上で見たような人格批判に近い責め方をしているわけです。
営業成績が上がらない原因は、他にいくらでも考えることができます。
【考えられる原因(ア)商品・競合)】
*Xさんの担当する商品に、お客様にとって魅力的でない。
*Xさんの担当商品(and/or 担当エリア)には、強力なライバルが
存在する。
【考えられる原因(イ)人材配置】
*α所長が部下を適材適所配置していないからXさんが力を出せていない。
他の商品 (and/or エリア)を担当させたら、もっと成績が上がる可能性が
ある。
【考えられる原因(ウ)α所長のマネジメント】
*「初めに数字あり+根性でなんとかしろ」式のマネジメントをしていて、
部下に力を発揮させるための工夫がない。
*部下の日常の活動に目配りせず、締めの時に結果だけを見ている。
Bについては、どうでしょう? α所長にも、その上司がいます。Xさんがノルマを達成しないと営業所の成績が伸びませんから、α所長が上司から叱責される可能性は大です。叱責されるだけならまだマシで、業績給や歩合給になっていたら、収入が減ってしまいます。α所長も、また、トラブルに巻き込まれるのです。
しかし、α所長は、自分に責任があるとは、なかなか考えないわけです。【考えられる原因(ア)】には目が向く可能性がありますが、【考えられる原因(イ)】と【考えられる原因(ウ)】には、目が向きません。
B.α所長は、営業所の成績が伸びず社内で自分の立場が悪くなるのは、
Xさんがちゃん仕事をしないからだと考える。
そして、Cです。α所長は、Xさんがノルマを達成しないせいで、自分が上司から叱責されたり、悪くすると収入も減ったりする可能性がある。α所長は、Xさんのせいで、自分が不快な思いと不満を抱えることになったと思います。
C.α所長にとっては、Xさんは、自分を不快にし、そして、自分に不満を
抱かせる部下なので、Xさんを罰したくなる。
α所長が他のセールス・パーソンのいる前でXさんを「詰める」のは、Xさんに罰を与えているのです。もっと言うと、Xさんに復讐しているのです。何について復讐しているのかというと、Xさんがα所長の脚を引っ張ったことについて、Xさんに復讐しているのです。
しかし、復讐というのは、既に起きてしまったことについて、それをチャラにする行為です。
一方、組織の活動は継続していくものなので、過去をチャラにすることは、出来ません。それが出来るときがあるとしたら、組織を解散するときだけです。
組織は、過去を抱えて前に進んでいくしかありません。前に進む過程で過去のマイナスを上回るプラスを産んで、通算でプラスにするのです。それが、組織というものです。
ですから、上司が部下を罰する(部下に復讐する)なんて、組織の本質から考えると、ナンセンスでしかないのです。
では、上司の部下指導はどうあるべきなのか? それを、次回は取り上げます。
ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。
上司の部下指導(1)なぜ、上司は部下を「詰める」のか? 〈おわり〉
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