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自然・人間・社会/『アフォーダンスの心理学』と考える/7.脳の《多産性》と《余裕しろ》

写真出典:AlainAudet @pixabay
人間特有の《脳ー身体ー環境》のカップリングに話を進める前に、第4回・第5回で人間の脳の自発性を紹介したときに煩雑さを避けるために触れなかったけれども、人間に特有な脳の性質を考える上で重要と思われる論点を補足しておきます。それは脳の《多産性》・⦅余裕しろ》・⦅可塑性》の3点です。今回は、脳の《多産性》と《余裕しろ》に触れます。

初めに、第4回と第5回の要点を1表にまとめたものを次に示します。

1.赤ちゃんの脳には《多産性》がある


 第5回で、赤ちゃんの脳では、神経回路が次のようなプロセスで生成され整理されていくことを見ました。

【抜粋1】
シナプスは、
赤ちゃんの生後6カ月から12カ月にかけて、視覚野だけでも1秒間に10万個のニューロンが作られるというような爆発的なスピードで生成されます。これにつれて、知覚と運動機能が発達していきます。
しかし、時間とともに、刺激の種類ごとに対応するシナプスが固定していき、神経回路の役割分担が生まれます。役割分担が進み出すと、役割特化したシナプスを情報が伝わりやすいように、役割特化していない余分なシナプスが壊されシナプス全体の整理が進みます。これを「シナプスの刈り込み」と言います。

抜粋:自然・人間・社会
/『アフォーダンスの心理学』と考える
/5.脳の自発性(後編)

 厳密に言えば、シナプスと神経回路はイコールではありません。シナプスは神経細胞同士の接続のことで、シナプスが組み合わさって特定の感情・思考・行動を引き起こす神経回路が形成されるのです。
 けれども、この記事の議論の精度では、《シナプスの多さ=神経回路の多種大量さ》ととらえていただいて、差し支えありません

 つまり、赤ちゃんの脳は、実際に使う神経回路をはるかに上回る多種大量な神経回路を生成することができるのです。赤ちゃんの脳に備わったこの能力を、脳の《多産性》と呼ぶことにします。

2.脳に《多産性》があるのは、多様な環境に適応するためである

 脳の多産性に関連して、『アフォーダンスの心理学』に、次のような興味深い一節があります。

【引用2】
哺乳類の神経系の個体発生は、経験的な要因が皮質領域の機能分化に必然的に重要な役割を果たすように組織化されているとともに、そうした皮質領域の構造も、変異性を最大限サンプルできるように、少なくともある程度まで組織化されている。

引用:『アフォーダンスの心理学』P158

リード独特の言葉の使い方をしていますが、言っていることのほとんどは第5回で紹介した2つの研究成果と同じことです。
 
 しかし、リードは第5回で紹介した研究成果から抜けていて(少なくとも明示されておらず)、そのため、私も触れずに済ませてしまった重要な1点を指摘しています。それは、

※変異性を最大限サンプルできるように

という指摘です。この指摘と第5回の内容を重ね合わせると、次のことが見えてきます。

 人間の赤ちゃんが生まれ出てくる環境に大差はないように思われがちですが、狩猟採集時代と現代を比べてみてください。赤ちゃんが生まれ落ちてくる環境が激変していることが分かります。
 人間の脳と身体は、遺伝的には、過去20万年間、変化していないという説があります。

 だとしたら、人間の脳には20万前の時点で、その後の20万年にわたる生活の変化に対応できる幅広い神経回路を生成する力が備わっていたことになります。人間の脳には大変な《多産性》が備わっているのです。

3.脳の神経回路形成力には⦅余裕しろ》がある?

 
 脳と環境変化の関係について、脳科学者で社会的脳機能の研究で有名な 藤井 直敬が、非常に面白い指摘をしています。少し長くなりますが、彼の著書『つながる脳』から抜粋します。

【抜粋1】
私たちの脳は環境に応じて自らを無意識のうちに作りこんでいくことが可能なのです。逆に言うなら、適応すべき環境がいつも変化しているのですから、つまり環境自体が予測困難な「非定常性」(全く異なるたくさんの不連続な状態の間を行ったり来たりする性質)をもつために、僕たちはそれを見越して、予想不可能な何かが起きるたびに臨機応変に対応しなければなりません。(そのために)脳の中にも環境適応的な非定常性を確保することが私たちの脳に進化的に必要とされたに違いないと考えられます。

抜粋:藤井直敬『つあがる脳』(新潮文庫、2014年)
P43~44
/( )内は楠瀬補足/太字化は楠瀬

藤井直敬のプロフィールはこちら:

 藤井は成人の脳について語っているのですが、「進化的に必要とされていた」のであれば、その当然の帰結として、赤ちゃんの脳も非定常性を確保できる構造と機能を備えていると私は考えます。
 このことは、先に触れた赤ちゃんの脳の《多産性》の進化論的な裏付けと考えることができます。赤ちゃんは、非定常性を確保する能力の現れとして、生まれ出た環境との関係で実際には使わないかもしれない神経回路も大量に生成するのです。

 藤井は、さらに興味深い指摘をしています。

【抜粋2】
生き物としての脳がいくら頑張っても、機械のような正確さ、定常性はもてないだろうと思うヒトもいるかもしれません。しかし、サバン症候群の人々の中には、まるで機械のようなきわめて高い記憶力を示したり、信じられない詳細な描画能力を示したりするヒトたちがいます。現実に、そのようなヒトがいる以上、脳自体は高い潜在能力をもっているにもかかわらず、それをあえて出さないという形の進化を果たしたと考える方が自然ではないでしょうか。

抜粋:藤井 直敬 『つながる脳』(新潮文庫、2014年)
P44~45
/太字化は楠瀬

 藤井は「あえて出さないという形の進化を果たした」という言い方をしていますが、私は、少し違った見方をしています。
 私は、どれほど精緻で優れた神経回路であっても、日常生活で、そこまでの精緻さが求められない神経回路は、刈り込まれてしまうことが圧倒的に多いのだと考えています。サバン症候群の人たちは、何らかの理由で、そうした精密な回路が刈り込まれずに残ったから、常人離れした能力を発揮できるのだと私は考えます。第5回で触れた、生得の共感覚と同じ経緯です。

 ところで、『アフォーダンスの心理学』には、次のような記述があります。

皮質の各領域は、それに ”特殊化” された活動以上に多様な活動の幅を産出できる容量(capacity)があるだろう。

 脳は、その脳が置かれる環境に適合した神経回路より、ずっと多くの神経回路を形成できるだけの ”容量(capacity)” がある。リードは、そう言っているのだと、私は解釈しています。
 
 私が《多産性》と呼ぶことにした脳の特性ですが、見方を変えると、脳が神経回路を生成する能力には、今目の前に環境に適応するのに必要な神経回路を上回る神経回路を生成する《余裕しろ⦆のようなものがあると捉えてもよいのではないかと私は考えています。

 ただ、脳の《余裕しろ》に触れると、超能力の方向に話が流れがちです。映画『ルーシー』の世界です。


 私は超能力を頭から否定するつもりはありません。しかし、それが疑似科学として疑いの目で見られがちな領域であることも否定できません。
 私は、このシリーズでは、できるだけ疑似科学と見られがちな要素は除いて議論を進めたいと考えているので、ここで論を超能力の方向に進めることは避けたいと思います。

 ただし、それを《余力》と呼ぶかどうかは別として、成人の脳にも新しい神経回路を生成する力があることは、様々な実例や研究成果によって明らかになってきました。脳の《可塑性》と呼ばれるものがそれです。次回は、この《可塑性》についてみていきたいと思います。

 今回は、ここまでとします。

 ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。

次回はこちら:

 

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