社会契約説―「おとぎ話」の持つ力
「社会契約説」は人類史の事実に照らしても日常的な直感に照らしても、現実離れした「おとぎ話」です。しかし、「おとぎ話」だからこそ、人々の思考を中世から近世にいたる歴史の成り行きから切断し議会制民主主義に向けさせるという絶大な威力を発揮することができました。
1. 社会契約説という「おとぎ話」
社会契約説については、コトバンクに非常に簡潔で明確な説明があるので、それを引用します。
個人間の契約によって政治社会が成立したとする政治学説。政治社会を自然的に成立したとみる考え方に対して,人為的につくられたとする点に特質がある。(コトバンクによる)
政治社会は自然的に成立したものでなく、人為的に作られた――この発想は、私が持っている人類史についての知識とも、私の直感とも、全然かみ合いません。
私が人類史について知っている限りで言えば、狩猟採集グループに始まり、農業共同体、農耕生活をベースにした国家は、人類が食糧の生産方法と生産力を増大していく過程で自然に成立したものです。
私の直感で言えば、私は《物心ついた時にはもう日本人の一員で、その後、日本の社会・規範・文化に適合するように育てられてきた》のであって、日本人になるための契約などした覚えはありません。
私にとって、社会契約説はフィクションもいいところ、「おとぎ話」です。
2.『リヴァイアサン』という「おとぎ話」の威力
私は社会契約説が「おとぎ話」だと言いました。
しかし、それは「おとぎ話」だから取り合わなくてよいとか、「おとぎ話」だから無力だと言う意味ではありません。
それどころか、社会契約説が「おとぎ話」だからこそ、社会を《成り行きのまま行ったら、こうなってしまう》という未来から救い出す力を持っている。そう信じているのです。
社会契約説という「おとぎ話」がヨーロッパ社会の進路を変える上でどれほど力があったかを、この「おとぎ話」の出発点となったホッブズの『リヴァイアサン』に見ていきましょう。
ホッブズと言えば、「万人の万人に対する戦い(闘争)」という言葉が有名です。これについても、コトバンクがわかりやすく説明してくれているので、引用します。
政治的社会の成立していない自然状態では、各個人がそれぞれ自分の利益を追求するため、互いにあらゆる人為的制約から自由であると考え、その結果、無秩序な戦争状態におちいる。(コトバンクによる)
この「万人の万人に対る戦い(闘争)」を防ぐために個人は自分の自由を《絶対者》の制約のもとに置こう、そうして平和に暮らそう……と、ホッブズの論は続きます。
ホッブズ本人も、さすがに「政治的社会の成立していない自然状態」が現実に存在したと本気で考えてはいなかったでしょう。
彼は、イギリス社会を《成り行きのまま行ったら、こうなってしまう》未来から救い出すために、敢えて、この「おとぎ話」を持ち出してきたのです。
当時のイギリスは、国王が《市民》の活動を抑制しようとし、これに《市民》が反感をつのらせ、ついに清教徒革命(1640年)とそれに続く内戦状態へという大混乱に突入していました。
国王は、それまでの成り行きで絶対的な権力を持つに至った存在であり、《市民》は、農地経営や産業革命の先駆け的な工業活動によって財力を貯えた、貴族より下・農民より上に位置付けられる階層でした。
《市民》の側には、「この国王が我々の自由を縛ることに、どんな正当性があるのだ?」という疑問、抗議、不満の念が募っていたのです。
このような《市民》の異議申し立てを抑え込むため、イギリス国王・ジェームズ一世は、《王の権力は神の恩寵による》という「王権神授説」を持ち出してきます。
この状況で《成り行きのまま行ったらこうなってしまう未来》は国王支持派と《市民》との終わりのない闘争でした。実際、清教徒革命後の内戦状態がその予兆を示していた。
ホッブズはこの未来からイギリスを救い出すために『リヴァイアサン』という「おとぎ話」を編み出したのです。
ホッブズ本人は国王寄りの人間でした。彼が個人が自分の自由を預ける先の《絶対者》として想定していたのは、国王だったようです。
「王権神授説」に代わる国王の権力の根拠付け理論を打ち立てようとしたとも考えられます。
ところが、実際には、ホッブズは国王の権力基盤を切り崩すものとなりました。
『リヴァイアサン』という「おとぎ話」は、国王が絶大な権力を持つに至った過程をバッサリ切り捨て、国王の権力の拠り所が《市民》が保有していた権利にあると主張したからです。
国王の存在根拠が神の恩寵から《市民》の自発的な選択へと変わった。
これはヨーロッパ政治史の思想面での一大革命でした。国王の権利の基盤を《市民》の権利に置いたホッブズの考え方を受けて、ロックやルソーが国王の権利を《市民》の監視下に置き、国家の権力の中心を国王から議会へと変換させる社会契約説を完成させていきます。
そして社会契約説で理論武装したフランスの《市民》たちが1789年にフランス革命を起こし、その後紆余曲折を経たものの、19世紀末までには、イギリス、フランスは立憲君主主義に移行し議会の優越が確立するのです。
3.「おとぎ話」は成り行き思考を切断する
私は、「おとぎ話」は「おとぎ話」だからこそ社会を《成り行きのまま行ったら、こうなってしまう》未来から救い出せると言いました。
それは、「おとぎ話」に、私たちの思考を《過去からの成り行き》から切断してゼロベースで「ありたい未来」を描く方向に向けさせる力があるからです。
特に、《これまでの社会システムの賞味期限が切れつつあるが、まだ何とか機能している》――今の日本はその状態だと私は考えているのですが――状態で《現実的に》考えると、過去の積み重ねを無下にしたくない、まだ機能している部分の延命を図りたい、といった気持ちが働いて、中途半端な未来像しか描けなくなります。
だから、私たちの思考をこれまでの成り行きから強引に切断してしまう「おとぎ話」が必要なのです。
ここまでお付き合いいただき、本当にありがとうございました。
『「社会契約説」――「おとぎ話の持つ力』おわり