「神の子どもたちはみな踊る」を読む(感想編)
ようやく感想。
内容の解釈の正解はわからないので「※あくまで個人の感想です」。
トーンがぐっと重くなるけど、テーマがテーマなのでご容赦を。
2001年9月下旬、アメリカ同時多発テロ(以降9・11と表記)の約2週間後から3か月間を、アメリカ東海岸のある小都市で過ごした。
渡航前にニュースで情報を得る限り、衝撃的で痛ましい事件ではあったものの、自分の感情が大きく波立つことはなかった。
しかしアメリカでの生活がスタートしてしばらくして、変化は訪れた。
日々楽しいのに、どこか不安なような、さみしいような、切ないような…これまで感じたことのないものが、薄暗い雲のように心に重なっていく。
口には出さなくとも、それは一緒に過ごした日本人仲間たちにも共通していたようだった。なぜか多くが、刹那的な恋に走った。
私たちを支配していたあの雰囲気は何だったのか。
何年もかかって、私はようやく一つの答えにたどり着く。
「今日と同じような明日が必ずやってくる」
9・11をきっかけに、私たちはそれまで当たり前だったことを信じられなくなってしまったのだ、と。
ラジオからはエンヤのOnly Timeが頻繁に流れ(当時追悼のためのテーマ曲のような扱いになっていた)、毎朝のニュースではアメリカ政府による他国への攻撃が報道される。
そうしたものに触れるたび、なにか心に染みが広がっていくような気がした。
いつしか、9・11を境に世界が大きく変わってしまったことに、私たちは気付いてしまったのだと思う。
今日と変わらぬ明日が来る。その前提条件を失ったことが、私たちを衝動に駆り立てていたのだ。
「神の子どもたちはみな踊る」の登場人物たちは、ニュースを見たり、神戸に子どもがいたり、かつての夫がいたりと、なんらかの理由で阪神大震災に思いを寄せている。
彼らは私と同じように、昨日と今日、今日と明日が分断されてしまったことを感じ取っていたのではないか(全員がそうではないにしても)。
切り離された過去と未来を、それぞれが、それぞれのやり方で繋ごうとする物語の集合体。
それが短編集「神の子どもたちはみな踊る」だと、私は考えている。
感想編2に続く。
(追記:と書いたものの、次回から分析編に入ってしまった…というわけで、タイトルを「感想編1」から「感想編」に変更しました)