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「神の子どもたちはみな踊る」を観る(感想3:淳平が書くこと、そして語ること)

(まさきちに友だちがいないことに関連して)
「ジュンちゃんにはお友だちはいる?」
「沙羅のお父さんは、ずっと昔から僕のいちばんの友だちだ。それからお母さんも同じくらいいちばんの友だちだよ」
「よかったね。お友だちがいて」
「まったくね」
(原作より抜粋)

淳平は劇中で、2つの物語を異なる方法で紡いでいく。
熊のまさきちととんきちのお話(そういえばタイトルがない)を、沙羅との対話によって。
「かえるくん、東京を救う」は、原稿用紙に向き合って。
淳平が「かえるくん、東京を救う」を執筆するのは舞台独自の設定で、その進め方の対比によっても淳平の心情が描き出されているように見える。

熊のお話は、沙羅のために語られるもので、淳平はその結末を決めていない。だから沙羅の質問によって話に新しい展開が生まれもする。
淳平は、沙羅に「よかったね、お友だちがいて」と言われてそれに同意しながらも複雑そうにする。動物園でとんきちの話をねだられて、とんきちが動物園に送られてしまう悲しい結末しか思いつかないことに、自分自身が傷ついたような表情をする。
沙羅に引き出されていく物語には、淳平の内面が知らず知らずのうちに反映されており、淳平はそれによって自分の弱さ、脆さを自覚することになる。
熊の話を語る淳平は明るく振る舞うが、繊細な演技によって、ふとした時の声のトーンや表情にごくわずかな影が落ちる。

翻って、「かえるくん、東京を救う」。
淳平が「かえるくん、東京を救う」を書き始めるシーンはやや唐突とも取れるもので、小夜子とテーブルにつき、話をしている最中に突然「そうだ、『かえるくん、東京を救う』だ!」と言いながら立ち上がり、舞台下手の机で憑りつかれたように原稿を書き始める。
そこには沙羅の悪夢に悩む小夜子や、淳平と小夜子の関係によって生じている、閉塞した空気感を打ち破ろうとするような勢いがある。
かえるくんと片桐のシーンでは、時折、原稿を手に、ナレーションをしながら二人の周囲を歩く。視線には強さがある。それは淳平が物語の支配者であり、自分の意志でストーリーを動かしていることを表しているようだ。
タイトルが「かえるくん、東京を救う」なのだから、淳平は書き始めから既に物語の結末を自分の中に持っている。
淳平はかえるくんと片桐に、東京を救わせるのだ。
「かえるくん、東京を救う」を書き上げることは、淳平にとって、自分の内面に向き合うことであり、決まった結末に着地させるための、自分自身との闘いなのではないか。
(1つ手前のnoteで、淳平が意識的に書いたかどうかわからない、と書いたが、十分すぎるほどに意識的だったはずだとこの回を書きながら気付く)

「かえるくん、東京を救う」を書き上げた淳平は、熊の話について「かならず答えを見つけ出そう」と、眠る沙羅と小夜子に語りかけるように言う。その声には温かさと確かさがあって、以前の淳平の、迷いや葛藤を含んだ話し方とは明らかに違うものになっている。
淳平のこれからは、もう誰かの手によって決定されるのではない。自分の、そして小夜子と沙羅のための物語を、淳平自身の手によって作り出していくくのだ。そんな決意と力強さが伝わるラストシーンだった。

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