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神の子どもたちはみな踊る(分析編6)
「タイランド」は、更年期に差し掛かった年齢である主人公・さつきが、ゆるやかな死へと生き方をシフトしていく過程の物語だ。
それは阪神大震災によってもたらされた突然の死との対比であり、今生きている私たちも、少しずつ死へと向かっているのだということに気付かされる。
私たちはなんのために生きているのか。さつきをタイでアテンドする運転手・ニミットがかつて仕えた宝石商は、彼にそう問うた。年に一度だけ交尾し、あとの一年を孤独に過ごす北極熊の話をしながら。
さつきは憎しみによって生かされている。生まれるはずだった子供の父親であった男に対して。そして、彼女の父親が死んでしまってから、母親が行った行為に対して(ただし、それが何かはわからない)。
長年にわたって抱え続けた憎しみは、やがて彼女の中で、白くて堅い石になるのだ。
ニミットは、さつきを夢を予言する老婆の元に連れていく。彼はいつも客を老婆に会わせるのではない。さつきに主人であった宝石商に通じるものを感じたからそうしたのだ。彼もまた、身体に石を入れた人だった。
さつきは神戸に住む男を地震でもだえて死ぬことを求めるほどだったが、老婆は彼が「あなた(さつき)にとってはまことに幸運なこと」に、傷ひとつ追っていないという。
なぜ幸運なのか。
それは、もしもその男がさつきの望む通りに死んだとしたら、さつきの生きる目的が彼を殺すことになってしまうから。それが達成されたら、さつきは本当に生きる意味を失ってしまうから。
さつきは予言の内容を受け入れ、夢を待つことにする。
ところで物語冒頭の、機内での彼女は、ひどくあれこれと考えをはりめぐらせる理屈っぽさが印象的だ。
彼女はタイであれこれ考えずにニミットの提案に従い、ただひたすらに規則正しい生活を繰り返す。ニミットに任せれば、すべてのものごとはうまく運ぶと、さつきは無条件に信じられるようになる。
そうした下地があったから、さつきは夢を受け入れようとすることができたのではないか。
アメリカでも、日本でもない、自分が根付かない場所だからこそ、自分の在り方を少し変えることができる。人生のバカンスの場所。それがさつきにとってのタイだ。
物語は、最初と同じく機内で終わる。次に扉が開くとき、どうなるのかはまだわからない。人生の旅路はまだまだ続いていくのだ、いずれ訪れるおだやかな死に向かって、重い荷物を捨てるために。