気がついたら『創作大賞2024』が終わってた

『創作大賞2024』が終わってた。
なんなら受賞パーティまで終わってた。

かすりもしなかった9月の中間選考に落ちた時点で、自分の中で『創作大賞2024』は終わってたとはいえ、最終発表にしては、周りがなんだか無風だった気がするのは、私の思い違いだろうか。

振り返れば、応募期間と応援期間、そして、中間発表までが一番盛り上がっていた気がする。私が応募しようとしていたのが一番人気のエッセイ部門だったせいか、受賞に向けての傾向と対策や、「応募しました」とか、「応援してね」とかの、『創作大賞』絡みの投稿が飛び交うお祭り騒ぎで、なんだかとっても楽しかった。

私は最終的に2本応募した。

「いやいや、note始めたばっかりだし、過去の受賞者の作品見ても、自分がそんなレベルに達してないのも重々承知だし、そもそも、ろくにフォロワーさんもいないのに無理に決まってんだろ」

という気持ちと、

「でもさ、でもさ、何かの拍子で目に止まって、『ちょっと通してやってもいいかな』なんて思われて、なんだったら受賞しちゃったりなんかするかもしれんよ」

と言う思いが、交錯していた。

まあ、あえなく撃沈したわけだけど。

中間選考では、自分もさることながら、これまで、何かしらのやり取りがあったクリエーターさんが入選してないかと、何度も往復して見てみたけれど、それもなかったことで、すっかり熱が冷めてしまった。

今改めて見てみると、エッセイ部門の応募総数は26,158作品、中間選考突破が47作品。最終的なメディア賞は1作品で、入選7作品。

狭き門にも程がある。

しかし気になるのは、募集の段階では、エッセイ部門のメディアは6部門参加しているのに1作品しか受賞していないということ。つまり、5つのメディアが『該当作品なし』と判断したということだ。

これは、なかなか由々しき事ではあるまいか?

なぜそんなことを言うかといえば、スキの多さで常にトップに掲載されていた読者賞のクリエーターさんはもちろん、入選した作品もやっぱり、すでにかなり有名なクリエーターさん、つまりフォロワーやスキも、潜在的にたくさん稼げるクリエーターさんがほとんどだった。なかには、セミプロ、プロみたいな人も混ざっている。

それでも『該当作品なし』をくらってる。

どういった過程でメディアに作品が渡されるのか知らないから、なんとも言えないけれど、たとえば、中間選考突破の47作品を各メディアに渡して、そこからメディア側に選んでもらう、だとしたら、その47作品の中に各メディアが求めていたものがなかった、っていうことになると思う。

ってことは、「残りの26,111作品の中に実は該当するもの、あったんじゃね?」という疑問が持ち上がる。

そこで私が思うに、今後は応募する側も、特にエッセイに関しては、『数打ちゃ当たる方式』で応募するのをやめて、応募総数を絞る方向にいった方がいいんじゃないか、ということ。そうすると、埋もれてしまう確率が減って、まだ発展途上のクリエーターさんたちでも「陽の目を見るチャンス」が出てくるのではないか?、と思うのだ。

まあ、特にエッセイについては、noteがクリエーターひとりについて◯作品まで、って決めてくれるのが一番だとは思うけど、応募総数◯万!って花火打ち上げたいみたいだから無理だと思う。

それから、中間選考が終わってからの、尻すぼみ現象もどうにかできないものか。

「中間選考に通りました!」っていう報告投稿は見かけたけど、大半の人は落ちてるわけだから、盛り上がるわけがない。

そこで、なんというか、『敗者復活戦』的なものはできないだろうか。

通過できなかったクリエーターさんの作品のおすすめ合戦するとか?
それでまたスキの数で争うと、読者賞と変わらなくなるから、実際読んだ人のコメントの数で争うとか、なにかアイデアはないものか。

まあ、私はフォロワーを増やす努力をしていないし、いただけるスキもコメントの数も、たかがしれているから、今後も創作大賞に拾われることはないと思う。

でも私はそれでいい。

数は少ないけど常連さんとか、私の文をぽろっと読んでくれた一見さんが、スキつけてくれる人がいるという事だけで感謝。

だけど、書くことを商売にしていきたい気持ちはあるので、これからはnote以外の公募にもチャレンジしようと思う。

で、noteはこのまま、まったりと続けていく。

エッセイで受賞した作品を読んでみたけど、さすがだった。
流れるように、スイスイ読んでしまった。
いつか、あんな感じに書けるようになりたいなあ。

〜終わり


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