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noteをはじめて6ヶ月、いいこと思いついた

毎日投稿とかは、はるか昔にやめてしまったとはいえ、ダラダラ書き続けて6ヶ月。

何事も続かない私にしては、快挙としか言えない。
本当に何事も続かないのだ、私は。
続いているのは、子育てくらい。

学年が変わるたびに、ノートを新調して、ペンもカラフルに揃えて、ちゃんとノートとるのはせいぜい一週間。そのあとは、思いつきで殴り書きに毛のはえた程度のノートをとって、残りは大量の落書きで埋め尽くした。

ピアノも親がやめさせてくれないから何年も続けたけど、ぜんぜん練習しないから、いつまでたってもバイエル止まり。

部活も一年でやめた。

仕事だって、同じ職場では最長10年しか続かない。

SNSも、facebook、インスタグラム、X(ツイッター)とすべてアカウントは持ってるけど何ひとつ続いてない。Twitterなんて、開始が2010年なのに、フォロワーゼロって逆にすごくないか?

こんななのになぜ、noteは続いているのか?
いろいろ考えてみた。

まず、書くたびにそれなりの反応があるのが、間違いなく励みになっている。

ハートをつけてくれた人のプロフィールを読んで、「うわー、こんな人が読んでくれんたんだ〜」と、感慨深いひとときを過ごし、コメントなんて来た日にゃ、正座して返信する勢いだ。

「〇〇さんが、フォローしました」とかの通知がくると、今だに「え、なんで? なんで?」と動揺している。いや、嬉しいんだけど、動揺する。

ほんと素敵なシステムだわ。

二つ目には、だいぶ早い段階で『毎日投稿』をやめたこと。始めた時に、「10万字達成するまでは毎日投稿しよう」と思ってて、それが達成した時点であっさり連続投稿をやめた。続けようと思えば続けられたけど、とりあえず一旦止めた。

そうすることで、「自分の意思でやめたんだもんね」ということになって、「ああ、連続投稿が途絶えてしまった」とかいう負の感情を持たずにすんだ。ここら辺は『やめ癖歴史へ追加』を回避する、せこい手ともいえる。

三つ目には、カナダに住んでいて日本人の友達がまるでいないから、日々の出来事や、思いを日本語で放出できるのが、わりとストレス発散になっている。

ただ、そうは言っても、たまに押し寄せてくる「なんで私、こんなことやってんだろ?」という、あの気持ちの波はどうしようもない。

なにしろ、ポツポツ自分のペースで書いているとは言え、それなりに時間も労力も使う作業だ。

そんなとき、初期の頃の投稿にハートがついて、「ん?どんなこと書いたやつだっけ?」と読み返してみると、まあ、文章は拙いし、「おもしろいでしょ、これ」みたいなスケベ心が透けて見える内容で、読んでて小っ恥ずかしくなる。

実際、耐えきれなくて削除した投稿もある。

そこで、はじめた当初より、少しずつ文章がうまくなっていることに気がつくわけだ。そして、「まあ、いつかは細々と書くことを商売にできたらな、と思ってるんだから、文章が上達するにこしたことはない」と思って、また続けている。

それから、このnoteを続ける意義について、最近思いついたことがある。

私は、私がnoteでエッセイもどきを書いていることを、誰にも話していない。ひとりでも話してしまったら、その人の顔がチラついて、たぶん思うようには書けなくなる気がするから。

だから、もし私に何かあったら、これまで書いた分は誰にも知られることなく、noteの海の中で漂い続けていくことになる。

そこで思いついたのが、遺言みたいなものに、そっと、このサイトを残しておいて、子供達に発見される仕組みを作っておく、という計画だ。子供達は日本語を読めないけれど、翻訳ツールを使えば、あらかたの内容は伝わると思う。

おまえらの母ちゃんがどんな人生を送って、日常の細々したことに、実はどんな思いでいたのかを伝えることができるのではないか?と思ったからだ。

実は私は母親を高校生の時に亡くしていて、まだ子供だったから、母親と対等に話す機会がなかった。日記等も残されていないし、母親がどんなことを日常思って生活していたのか、とかを知る手立てがない。そのことが、心のどこかでいつもひっかっかっていた。

同じ思いを子供にさせたくないから、この日記のようなエッセイを残すことで、私がどんな人間だったのかを伝える、いい手段かもしれないと思いたったのだ。

まあ、子供たちもしょっちゅう登場してるから、「いろいろ書いてあって怒るかな?」という懸念もあるっちゃ、あるのだが、そこは目をつむってもらおう。

とにかく、また半年後を目処に、ぼちぼち精進していくつもりの、今日この頃。

〜終わり


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