解釈は全くちがうもの
あなたの乾きを癒せない。
真実を欲するあなたがそれを認めないから。
あなたの乾きを癒せない。
あなたの期待する真実が存在しないから。
それでもあなたの渇きを癒したい。
あなたを砂漠に放り出したのはわたしなのだから。
この格言を読んで、
あなたはどのように感じましたか?
ぜひ、
自分がどのような意味に感じて
どのように解釈するのか
思考してみてください(^^)
そうして自分で考えて
自分の解釈を幾度となく積み重ねていくと
自分の思考が見えてきます(^^)
どういう意味?
となって人に意味を聞いてしまう人も多いのが残念なところです。
それは、自分の思考が育ちません
誰も正解などもっていませんからね。
人に聞くという行為は、かなり恐ろしい行為です(^o^;)
僕はこの格言を
母親の目線
と現時点では解釈しています。
砂漠=この世
やと感じ、
砂漠に放り出したのは私なのだから。
というのは、
この世に産み落としたのは私
という意味やと考えています。
我々がこの世に生を受けるか否か。
は母親に決定権があります。
彼女の判断で、
我々がはじまるか否かが決まります。
この世は生まれてくるのはいいんですが
100%死ぬという事が確約されている世界です。
世の中に100%はあります。
金持ちも、実業家も、政治家も、大統領も、首相も、将軍様も、天皇も、ニートも、フリーターも、引きこもりも、犯罪者も、
100%確実に死にます。
ならば、我々はなぜ産まれてくる?
この格言で言う
乾き
とは、
生きる意味を問う。
自分の存在意義、価値、意味を問う。
そういう行為を指すと感じます。
真実などありません。
やから、乾きは続きます。
いくら期待しようが
この世に答えも真実も
何もありません。
やから、乾きは続きます。
母としては、
なんとしても
子供の乾きを癒やしたい。
子供の存在意義を、価値を、意味を、
おしえてあげたい。
母にとっては、子供の存在に価値や意味があるのだから。
そう、
我々は誰かに求められたからこそ
この世に誕生する事ができる。
拒否されれば、産まれてこれない。
母親が求めたからこそ産まれた命。
が、母親には子供の乾きは癒せない。
子供は人間。
なぜ、自分が産まれてきた?
その問い=乾き
は、誰も癒せない。潤せない。
人間ならば、自分でその問いに向き合うしかない。
死ぬまで答えなどでないでしょう。
そもそも答えがないって事が分かるかどうかでしょう。
それでも、
母親は願う。
子供の乾きを癒やしたい。
と。
あなたが、
産まれてきた事が
そもそも
価値があるってことを
しかし、
子供には伝わらない。
それは母親が思う価値であり、
子供は違う。
子供は母親とは別の人間。
子供には、子供の問いがある。
深い格言やと思いますね。
僕はね。
みなさんが、冒頭の格言を聞いて
どのように感じて解釈するのか。
非常に興味深いです。
聞いてみたいものですね(^^)
人の数だけ
解釈があるでしょうね。
こういうのを精神科では実施しています。
ある文章から
想起される記憶、意味、解釈
視点の広さ
注意がどこに向くか
精神科や刑務所では
自分の発想を
遥かに凌駕した思考を聞くことができます。
改めて、人は
同じ言葉を聞いたとしても
その解釈は
人それぞれ