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個性なんて簡単に出せない

紅白歌合戦にもトップバッターで参戦した
<新しい学校のリーダーズ>
をご存知でしょうか

新しい学校のリーダーズ

このダンスボーカルユニットの4人の
キャッチフレーズの1つにこんな言葉があります

「個性や自由で、はみ出していく」

と、パフォーマンス込みで言います
興味のある方はYouTubeとか見てください
山ほど出てきます

このユニットがこの間「徹子の部屋」に出ました

その際
彼女達はキャラクターの強い4人ですが
徹子さんへの受け答えや対応は
「礼儀・礼節」を抑えたものでした

その時に再認識したのが
「個性というモノ」でした

今、本当に
「個性」という言葉が飛び交うようになりました

そう、30年以上前から言われてた
<個性がないと生きていきにくい>
という時代になった事を
肌感覚で気づく者が出てきたからでしょう

例えばこのnoteでもそう
もう
・ただの情報
・ただの知識
には誰も興味を示しません
幾らでもニュースアプリもありますし
Google先生には情報・知識は勝てないですし
それを説明してほしいならchatGPT先生に聞けば論文や文献のような情報をくだけて教えてくれますから

この時代は
もう知識・情報という材料ではなく
それらをどのように捌くかという個人の調理方法
を求められる時代なのですね

YouTubeも同じ
昭和や平成前半のように
みんなと同じ
を選択してるなら
そこに個性がないので再生回数もチャンネル登録者数もいいね数もない
他の誰でもない、その人しか創造できない価値>
を提供できる者だけが結果を出す時代

が、個性ってのを
勘違いする者
理解できていない者
表面しか見えてない者
が非常に多くなった事も事実でしょう

日本と呼ばれている民族は
共同体で生きてきた時間が長すぎるので
今更「個性」と言ってもズレる者が多いのは仕方ない
しかも多国籍でもなく、
相変わらずの令和版鎖国状態なのでさらに仕方ない

確かに
「人と違う行動・発言」
「人と違う考え方」
は個性と言われます

が、これを間違えば
ただの我儘・自己中心的・社会不適合となります

例えばYouTubeの撮影でも
独自の個性という旗の元
街中でエアガンを放ったり
車から身体を乗り出して叫んだり
危ないチェーンをショッピングモールで振り回したり
飲食店で醤油の蓋をなめたり
外食屋でご飯で遊んだり
スーパーの商品を清算前に食べたり
人のプライベートをSNSで暴いたり
ある事ない事人の噂を広げたり・・・

まあ、
言おうと思えば半永久に言えるくらい
このように「個性」の出し方を間違える事例はあります

ニュースになってないだけの
細かい事件など
何千件とありますからね

人と違う事をする
という言葉が
思索の足りない者の脳に入力されると
このような結果を生じさせる事は
大事な事実でしょう

このような所業は個性ではない
なぜならば

<誰にでもできるから>

です
上記に記したYouTube撮影のエラーなど
やろうと思えば誰にでもできるんです
それは個性ではなく
みんなが「倫理・道徳的にやってない」だけです

他人にただただ迷惑をかける
なんてのは本当に餓鬼畜生でもできます
でもそれも「個性」と勘違いしてしまう
これが個性の副作用と言えますね

ここまでYouTube撮影やら
インスタの撮影やらで
ニュースにまでなるほど迷惑をかける者が
大量に登場してるのですから
やはり、個性の副作用と言えるでしょうね

そんな中
「個性や自由ではみ出していく」
という新しい学校のリーダーズには
それがない

彼女達は
個性をもちながらにして
ちゃんと場所や相手をわきまえる

それは「空気」や「同調圧力」とかではないんですよ
難しいとこですがね

言い方を変えると伝わるかもですが
彼女達には
人間に対しての敬意がある
と言う事です

例えば徹子さん(高齢者というのも含めて)相手には
どのタイミングで自分達のパフォーマンスを見せるのか
受け答えはどうするか
話す速度や、声量や、イントネーションなども配慮されていた事は
見てて分かります

個性を間違う者や
人間に対しての敬意がない者ならば
相手が徹子さんなのに
受け答えでも個性を出してしまい(ため口とか独自の言葉とか)
話す速度も相手を無視した速度、声量
そして無茶苦茶なタイミングで自分達の世界を無理やり出す
というエラーが発生してしまう事でしょう

新しい学校のリーダーズが徹子の部屋で
礼儀正しかったと
単純な事言いたいのではない事は伝わったと思います

彼女達の言う
個性や自由というのは
他の誰も真似できない深くまで考えられたモノと言えます

それで思い出すのは
僕の大好きな「志村けん」さんですね

彼のコントは<国民が安心して笑える>というのがありました
それは志村けんという人間そのものに信用があるからでしょう
やからこそ多少過激でも、言葉でも
みんな安心した状態で笑えてたのでしょう

亡くなられてからの取材で分かったのは
志村けんさんの礼儀作法の高さと人間力
普段は本当に礼節のある立ち居振る舞いに驚いた方が多いという事実
それが「個性」を出せる者の本質

つまり
やっぱりそこには
<人間に対しての敬意>
は絶対に必要な要素
と言えそうです

粗雑に言えば
人間の事を舐めたらあかん
っていう当たり前の道徳に戻るわけです

まずは他者の追従を許さないほどの圧倒的な実力
それに加えて
人間に対する敬意をもつ人間力
この2つを兼ね備える者の事を

「個性をもつ者」と呼ぶ

あんまり個性ってのを
軽視してはいけませんね(^_-)-☆





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