幼稚園の運動会は、保護者の感動と「あえての改善点」で筆者の本音が噴き出しました
「よかった点」と「改善点」を要求する保護者
秋は運動会シーズン。
わが子が通う幼稚園でも漏れなく運動会が行われた。
子どもの幼稚園行事に関して、我が家の夫婦は特に張り切ることもなく淡々と行事をこなしていく体で参加している。
が、やはりわが子ががんばる姿を目の当たりにすると声を張り上げて応援するし、組体操なんて見せられた日には感動で泣きそうになった。
そもそも私個人は学生時代から、誰かが頑張る姿が好きだし、そういう姿を見ると清々しさで心が洗われる気持ちになる。
この清々しさに、一点の墨を落としたような気分になる出来事が起こった。
幼稚園の保護者が、幼稚園側と情報を共有するために存在するLINEのグループチャット。
ここでは行事が終了したその日に毎度「行事のよかった点」と「改善点」を求める内容のアンケートが送られてくる。保護者代表者から。。。
律儀にそのアンケートに返信する保護者たち。
そのアンケートを毎度律儀に読む私。。。
読むたびにいつも喉に何か詰まる思いがする部分は、返答した保護者が使う「あえて改善点を言うならば~」という文言だ。
改善点てさ、「あえて」言うものなのでしょうか?
「あえて」言われる改善点なら、幼稚園側もあえて言われなくても分かっている。(たぶん。。。)
加えて「個人的には~だと思った。」の文言が入ることもある。
もうさ、「個人的」に思ったことをLINEのグループチャットに「あえて」載せちゃう時点でただのクレームとどこが違うのか分からなくなるのよね。
それを大人の言葉で「改善点」として言えば、体裁は悪くない。だけれどもだよ!!
何でもかんでも改善点と言えば賢いわけでは無いはずだ。
その改善点は、匿名で保護者代表者から幼稚園側に報告されるらしい。
幼稚園はサービス業ではない!!
教育の現場だ!!
お願いだから、教育の現場を、またそこに従事する人たちの存在を軽く扱わないでほしい。
「あえて」だとしても簡単に「改善点」を出していい、安い相手だと思わないでほしい。
「あえての改善点」は保護者の個人的な要望であることが見え隠れしている気持ち悪さがある。それが、毎度の行事でいい気分の余韻を引きずれなくさせる。
純粋に「〇〇ちゃん、くんがんばってたねー。」「先生たちもすごく頑張って準備してくださったんだねー。」「子どもが楽しそうでよかったね。」
ではダメなんですか?
あえて改善点をいうなら、改善点という項目は必要ですか?