摩周湖の呪い
僕は大学生だった頃、長期休みになると、いつも数週間仲間たちと自転車旅行をしていた。なんかその地にどうしても行きたいとか、自転車が好きで好きでたまらないとかそういう気持ちは別に無くて、ただわいわいしたかっただけだった。
同じ旅をした仲間の中には自転車旅行狂が必ず一人はいて、そういう人が必ずナイスなプランを計画して盛り上げてくれた。僕はただついていくだけの人だった。計画もしてみたが僕には全くセンスが無かった。それはどういうことかと言うと、繰り返しになるが、心から自転車旅行を愛していたわけではなかった。とはいえ、まあ、ついていくだけでも結構楽しかったのだ。
その反面、結構苦しかったこともあった。2016年の夏も、例に漏れず北海道を自転車旅行した。その年は、夏の北海道で、とてつもない量の雨が降る珍しい年だったらしく(後で知った)、土砂崩れがいたるところで起きて多数の山道が封鎖されたり、冠水で線路が水につかったり、でも僕ら自転車集団は、毎日のようにレインコートを着て、テントで寝て、自炊をしてペダルを漕いでいた。極め付けは台風まで上陸するなんて日もあったが、さすがにそんな日はバンガローなどの小屋に泊まった。問題なのは、そういう天候で何日間も野宿していると、いい意味でも悪い意味でも頭のネジが外れてくるということだ。その外れっぷりは数年経った今でも傷痕が残り続けており、傘無しで雨に降られることがあっても、あの時よりはマシかなと誇らしげになったり、懐かしくて楽しい気分になってしまう。と、まあそんな無敵状態で、北海道の摩周湖(ましゅうこ)へ行ったときの話だ。
その日も早朝からざんざか雨が降っており、もう何日目か分からないが、いつもと同じように、湿ったレインコートを着て、湿ったヘルメットを手に取り、湿った頭にそれをかぶって、湿ったテントを畳み、湿ったハンドルを握って、摩周湖に向けて出発した。ちなみに、靴もまあまあ湿っていて、すぐに靴の中に雨が入って、ぐしゅぐしゅになったが、それももう慣れてしまっていた。しかも峠の登り坂だから、汗も大いにかいていた。こんな時は蒸し暑くなるため、両腕両脚のレインコートをめくり上げ、半袖半ズボン状態となり、もう色んな液体に全身まみれて過ごしていた。午前10時頃という、午前中真っ盛りな時間になって、珍しく雲の切れ間から太陽がさし快晴になった。そういうときは、空の水色と、雨に濡れたしずくの透明さが、木々の緑色をより際立たせて、更に涼しい風や虫の鳴き声もあいまって本当に綺麗な気持ちになり自転車旅の楽しさを味わうことができた。その後は曇り空が続き、午後2時くらいまでは雨が降らなかった。だが、そのあとはまた豪雨が降りしきった。摩周湖に着いた頃も絶賛土砂降り中であって、そんなかんじの、今の疲れなのか、昨日までの疲れなのか、はたまた未来を想像したがゆえのなのか慢性的な疲労感と、摩周湖という周囲は山に囲まれた湖畔なため、ほとんど雨を防ぐところもないような地形ゆえに、旅館に泊まることになった。
そのときの自転車旅行狂だった計画主のリーダーは、お金がない貧乏な人で、毎晩必ず自炊と決めていた。僕が食堂で海鮮丼とか食べたいなーと主張してみてもリーダーの頑なな自炊宣言に、付いていくだけの僕は同意するしかなかった。だから、お米5キロとかを荷台に積んで運んでいたり、スーパーで買ったニンジンとかジャガイモとかもたくさんカバンに入っていたし、まさか泊まると思っていなかったということから、旅館でカレーを作ろうということになった。おかしい。もう一度言う。「旅館でカレーを自炊しよう」という話になった。旅館というのはもちろん、あの畳の敷いてある和室と露天風呂のある温泉と、女将がセットで居るあの旅館だ。でも僕はそのおかしさに気づいてなかった。更におかしさは続き、室内で料理していいかどうか、女将に聞いた方がいいんじゃない?と変なところで深刻になり、みんなで会議をした。もうおかしさにおかしさを重ねてなんだかよく分からない。結局旅館の女将に尋ねた。すると、晩ご飯会場でなら作っていいと許可を貰った。
僕らは晩ご飯会場で周囲が浴衣で畳に座り、ビール片手にホットプレートのジンギスカンをつつくなか、まな板と包丁を出し玉ねぎを刻み、にんじんを乱切りにして、ガスコンロを出し、点火棒で火をつけ、デカい鍋で五人分の米を炊き始めた。しかもジャージ姿で。想像して欲しい。想像したら怖くてやめてしまった方は、一般的な思考回路をお待ちだと思う。今の冷静さのまま、当時にタイムスリップしたら自分含め全員の頭をどつき、お金を渡してジンギスカンを食べさせてあげただろう。そして自分だけ後で裏に呼び寄せて、お前は心から自転車旅行が好きじゃないんだから早くやめて別のことをやれと諭しただろう。でもそんなことはできない。当時は、全然気にならなかったし、楽しんでいた。もう本当に頭が狂っていたとしか思えない。
あの後旅館でどうしたかは、全然覚えていない。あの料理シーンだけが記憶に残り続けている
正直、寂しいがゆえと、わいわいしたさで、心から愛してはいない自転車旅行を数年間も続けていたのは時間がもったいなかったなと反省している。でもそんな中でも手に入れたものを資源として今後を生きていくのだ。それは、今まで観測した中で最大の瞬間風速的な笑いと、目に焼き付いている今まで生きてきた中で、一番綺麗だと思った自然の情景だ。これらが消えない蝋燭の炎みたいに微かに温かく燃えつづけてくれているおかげで、今を生きていけるんだと思う。
ちなみに、旅館にて、僕らの食卓の斜め向かいのサラリーマン二人組らしき人らは、口をぽかんとあけて、お箸を宙にかざしたまま唖然としていた。あれ、ここって旅館だよなあ?俺にしか見えてない幽霊なのかな?座敷童なのかな?台風の時に出る摩周湖の妖怪かな?みたいな感じで。その顔も、僕の脳裏にまだきちんと焼き付いて消えないでいる。
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