第3話 又候涼月
1.プロローグ
7月の到来に想いを馳せるのは、些か気が早いだろうか。夏はあまり得意ではない。年々力を増す太陽に目を細め、首筋を伝う汗をぬぐっていると、夏という季節にほとほと嫌気がさす。夏の本番はこれからだというのに。私は、今年こそあのギラギラと輝く太陽に焼き殺されるのではないか。心なしか、蝉の鳴き声も聞こえる気がする。
あと暑い。シンプルに暑い。
もうこれからの暑さに耐えられる自信がない。全くない。一度クーラーをつけたが最後、好きなものがたくさん詰まった自室から出ることはなくなってしまう。家は素晴らしい。家で過ごせば過ごす程、私の生活は充実していく。暇になる暇はなく、次に書くこと・読むこと・観ることが行列をなし控えている。
2.夏祭りの記憶
いくら家に居ることが好きだと言え、たま~には外で遊ぶ予定がほしい。普段はあまりそう思わないけれど、夏にはそう思うことが増える。「第一話 鏡に向かって自問自答」でも少し触れたように、
私は夏という季節をどこか怖いと思っているので、楽しい予定でその靄をかき消したい、と思っているのかもしれない。
ここ数年は、あれがこれだったりこれがあれだったりして、夏らしいことは何もできていない。BBQとかもしていないし、スイカやかき氷も食べていないし、プールや海にはもちろん行って(行か)ないし、花火もできていないし、夏祭りにも一切行っていない。夏っぽい、所謂エモいことなんか何も起こらない。
それは逆に言えば、波風立たず穏やかに淡々と日々を過ごせているということであって、まぁそれも性に合っているといえばそうだ。
けれども、浴衣は着たい。
──というか。浴衣を着るということに付随する楽しいイベントを味わいたいのだろう(これ、別のSNSで書いた気もする。重複していたらすみません)。母親に浴衣を着せてもらって、近くの祭りへ行き、人の群れを観察しながらたこ焼きが食べたい。最後に花火が上がるのを呆っと見て、周囲から歓声が起きるのを聞きたい。
ここ数年、私はめっきり人混みがだめになってしまったので、もう夏祭りを全力で楽しむのは無理な気がする。だからこそ、幼少期の夏祭りの記憶というのはより輝かしいものになった。「プリキュアのわたあめが欲しいな……」と思いつつ親に言えなかったのさえ懐かしい。人混みではぐれないように、必死に親の後を追いかけたのも、今はもうないことだ。
3.エピローグ
今、この文章はクーラーがかかった自宅で書いている。まだ6月半ばだけれど、もう私はクーラーなしでは生きられない。クーラーと離れがたい。この時期にこんなにクーラーつけてて、私は7~9月を乗り切れるのだろうか。
私の今後の足掻きにこうご期待。
ここまで私の文章に付き合ってくださってありがとうございます。あなたが、今夜も安心して眠れますように。
またね。