ダンマパダの因縁物語を読み始めた
ここ数ヶ月、パーリ語で中部経典を順番に読んできました。現在は中部#13大苦蘊経をもう少しで読み終わるところです。
ところが、ダンマパダ(法句経)の因縁物語の全訳(全4巻)が現代日本語で出版されていることを最近YouTubeで知りました。そこで、因縁物語も並行して読み始めることにしました。
経蔵小部に収蔵されているダンマパダ自体は、423個の偈(詩句, gāthā)が集められたもので、物語は含まれません。
一方、その註釈であるダンマパダ・アッタカターでは、各偈文が語られた経緯となる物語(因縁物語)が語られています。
パーリ仏典を読み始めた頃、短めの物語を沢山読んだ方がよいことを知っていたので、ジャータカ物語を読んでみたところ、断念してしまい、中部経典を読むことに切り替えた、という経緯がありました。
まずは3巻のKindle版をガイドにして、興味のある偈の物語をパーリ語で読んでいきました。(七仏通戒偈(諸仏の教え)#183-185、金の雨が降っても諸欲が満ちることはない#186 など)
たまたまかも知れませんが、物語の長さもちょうどよく、今の私の読解力でも読んでいけそうだ、という感触がありましたので、今度は3巻の最初(9. 悪の章)から順番に読んでいくことにしました。
偈と物語は一対一とは限らず、複数の偈が一つの物語に対応している場合もあります。
例えば、七仏通戒偈の3偈に対して一つの物語が語られています。
アーナンダ長老が、お釈迦様に過去七仏における布薩と今の布薩で違いがあったかどうかを質問するという物語です。3偈分に相当しますが、非常に短い物語でした。
いままで読んできた中部経典の場合、「教え」という抽象的な説明がメインで、それが語られる経緯となる物語は短めです。
物語には、人物が何をした、何処へいった、など物理的な動作や基本的な単語が使われており、想像がしやすい、次に起こることが予想しやすい、という利点があります。
物語が面白い場合は、先が気になってどんどん読みたくなるため、パーリ語を沢山読むという目的には適しています。
また、これまで読んできたものは、お釈迦様、比丘たち、バラモンたちと登場人物が限定的であるためか、数字、アオリスト(過去形)、主語としての女性が登場するケースがかなり少なかったです。
これらが文章に登場しないと、対応する格変化(名詞形容詞の曲用、動詞の活用)に出会う機会も少なくなってしまいます。
ダンマパダの因縁物語を読み始めたところ、アオリストが沢山出てきたり、主語が女性になると格変化が分からなくなったりして驚きました。
また、因縁物語が特定の律|《りつ》が作られた経緯と関連していたり、ジャータカ物語が引用されたりしていることも知りました。
物語自体に「教え」が多分に含まれているかは分かりませんが、パーリ語自体の勉強としては非常に良さそうです。
とはいえ時間は有限ですので、中部経典とダンマパダの因縁物語のバランスをどうするかについては、これから決めていきたいと思います。
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