いつかパーリ語が読めるようになりたい私のパーリ語についての知識は、法話を聞いたり、本を読んだり、礼拝や日常的に読誦される経典に触れることで知ることができた程度でした。 dukkha、dhamma、saṅghaといった基本的な単語をいくつか知っていて、覚えているパーリ文といえば、礼拝、三帰依の言葉くらいでした。パーリ文を覚えてその内容を知っていても、文法を理解している訳ではありません。 これまで一度だけ、2日間で(もしくは3日間)、講師の方にパーリ語を教えていただく機会があ
2024/09/25 に中部経典#26-50 をパーリ語で読了しました。 中部経典は根本(50経)、中分(50経)、後分(52経)の三篇に分けられていますが、そのうちの根本五十経篇、つまり中部経典の三分の一を読み終えたことになります。 2024年1月に小部経典のイティヴッタカを読み終わった後、中部経典の続きを読み始めました。淡々と毎日一時間程度読み進めています。 中部#26 聖求経 (2022/11/21 先行して読了済み) 中部#27 小象跡喩経 (2024/02/1
2024/01/29 小部経典イティヴッタカをパーリ語で読了しました。 一法集 (2023/09/14 - 2023/10/07) 二法集 (2023/10/08 - 2023/11/02) 三法集 (2023/11/02 - 2024/01/12) 四法集 (2024/01/13 - 2024/01/29) 合計で半年弱かかりました。三法集だけがなぜか他の集の倍くらいのボリュームがあり、なかなか読み終わらなかった印象があります。 各集には短い経が複数含まれるので
パーリ語で中部経典を読むのを一旦終了したので、小部経典のイティヴッタカ (Itivuttaka) を読み始めることにしました。 次は中部経典以外の短めの経典がよいかなと思い、増支部を日本語で読んでちょうど良い箇所がないか探していました。その途中で春秋社から原始仏典シリーズの小部経典の刊行(中村元監修 全16巻)が2023年7月から始まり、その第1巻が発売されていることを思い出しました。すでに入手済みでしたので、何か読むのにちょうど良さそうなものは無いかと見てみました。 最
中部#10 念処経 読了記事のつづき(その12)で、最後の記事となります。 四念処を構成する身随観・受随観・心随観・法随観について、これまでの読了記事へのリンクを以下にまとめておきます。 身随観受随観心随観法随観四念処の果報四念処を修習すれば、誰であれ、次のような果報が期待されると説かれています。 (p. 186 「完全智」の箇所に『aññā. あるいは「阿羅漢果」。《最上の道の慧 (agga-magga-paññā)》』との脚注があります。) 対応するパーリ文は以下
中部#10 念処経 読了記事のつづき(その11)です。 法随観 目次五蓋 (pañca nīvaraṇāni) 五取蘊 (pañc-upādānakkhandhā) 六処 (内処, 外処) (cha ajjhattika-bāhirāni āyatanāni) 七覚支 (satta bojjhaṅgā) 四聖諦 (cattāri ariyasaccāni) 法随観 四聖諦(法随観を修習する)比丘は、次のように、四の聖なる真理(四聖諦)である法において法を観つづけて
2023/09/12 に 中部経典#21-25 をパーリ語で読了しました。 中部#21 鋸喩経 (2023/08/10 読了) 中部#22 蛇喩経 (2023/08/27 読了) 中部#23 蟻塚経 (2023/08/30 読了) 中部#24 中継車経 (2023/09/05 読了) 中部#25 餌食経 (2023/09/12 読了) 中部経典#21-25 が収蔵されている「比喩の章」には、あと5経残っているのですが、一旦ここで中部経典を読むのを中断して、小部、相
中部#10 念処経 読了記事のつづき(その10)です。 法随観 目次五蓋 (pañca nīvaraṇāni) 五取蘊 (pañc-upādānakkhandhā) 六処 (内処, 外処) (cha ajjhattika-bāhirāni āyatanāni) 七覚支 (satta bojjhaṅgā) 四聖諦 (cattāri ariyasaccāni) 法随観 七覚支(法随観を修習する)比丘は、次のように七覚支の法において法を観つづけて住む、と説かれています。
中部#10 念処経 読了記事のつづき(その9)です。 法随観 目次五蓋 (pañca nīvaraṇāni) 五取蘊 (pañc-upādānakkhandhā) 六処 (内処, 外処) (cha ajjhattika-bāhirāni āyatanāni) 七覚支 (satta bojjhaṅgā) 四聖諦 (cattāri ariyasaccāni) 法随観 六処(法随観を修習する)比丘は、次のように六の内処と六の外処の法において法を観つづけて住む、と説かれて
ダンマパダの因縁物語の第9 悪の章を 2023/08/31 に読了しました。ダンマパダの句でいうと第116句から第128句までに相当します。 それぞれの物語の長さはまちまちで、一日30分のペースで、すぐに読み終わるものもあれば何日もかかるものもありました。 まずはパーリ語で物語を読んだ後に、ダンマパダの句のパーリ語を分析するのですが、文脈もなくいきなり詩句を分析するよりは幾分かわかりやすいかもと思いました。なぜなら、詩句に使われている単語は物語の中でもでてくることが多いか
中部#10 念処経 読了記事のつづき(その8)です。 法随観 目次五蓋 (pañca nīvaraṇāni) 五取蘊 (pañc-upādānakkhandhā) 六処 (内処, 外処) (cha ajjhattika-bāhirāni āyatanāni) 七覚支 (satta bojjhaṅgā) 四聖諦 (cattāri ariyasaccāni) 法随観 五取蘊(法随観を修習する)比丘は、次のように五取蘊の法において法を観つづけて住む、と説かれています。取
ダンマパダ第127句の因縁物語にカラス、パーリ語で kāka (カーカ) という単語が出てきました。サンスクリットでも同様に kāka です。 kāka m. f. 烏, 鴉, からす 見て分かるようにカラスの鳴き声から付けられた名前のようです。Pali Text Society's Pali-English Dictionary にも onomatopoetic (擬音[声]語の.) と書かれています。 Kāka [onomatopoetic, cf. Sanskri
中部#10 念処経 読了記事のつづき(その7)です。 法随観 目次(法随観を修習する)比丘は、もろもろの法において法を観つづけて住む、と説かれています。修習者が観察する「もろもろの法」としては、以下のものが挙げられています。 五蓋 (pañca nīvaraṇāni) 五取蘊 (pañc-upādānakkhandhā) 六処 (内処, 外処) (cha ajjhattika-bāhirāni āyatanāni) 七覚支 (satta bojjhaṅgā) 四聖
中部#10 念処経 読了記事のつづき(その6)です。 心随観(心随観を修習する)比丘は、次のように心において心を観つづけて住む、と説かれています。A(という心の状態)を、A(という心の状態)であると知る、と。 Idha, bhikkhave ここに, 比丘たちよ bhikkhu: m. 比丘, 乞者, 乞食者 sarāga citta: 有貪心 sarāga: a. [sa-rāga] 有貪の, 貪ある citta: 心 (品詞が記載されていない) ‘sarāg
中部#10 念処経 読了記事のつづき(その5)です。 受随観(受随観を修習する)比丘は、次のようにもろもろの受において受を観つづけて住む、と説かれています。Aを感受すれば〈私はAを感受する〉と知る、と。 Idha, bhikkhave ここに, 比丘たちよ bhikkhu: m. 比丘, 乞者, 乞食者 sukha: a. n. 楽, 安楽, 幸福 vedanā: f. 受, (苦楽の)感受作用, 苦痛 vā: adv. conj. または, あるいは 訳には含
中部#10 念処経 読了記事のつづき(その4)です。 身随観 目次出息・入息 (ānāpāna, アーナーパーナ) 出る息・入る息を観察する 威儀 (iriyāpatha) 行住坐臥を観察する 正知 (sampajāna) 正知をもってあらゆる行動を行う 厭逆観察 (paṭikūla-manasikāra) 身体を構成する三十二の部分を観察する 要素観察 (dhātu-manasikāra) 身体を構成する四大要素(地水火風)を観察する 九墓地 (nav