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諸受において受を観つづける 中部#10 念処経 読了 その5 (受随観)
中部#10 念処経 読了記事のつづき(その5)です。
受随観
(受随観を修習する)比丘は、次のようにもろもろの受において受を観つづけて住む、と説かれています。Aを感受すれば〈私はAを感受する〉と知る、と。
比丘たちよ、ここに比丘は、楽を感受すれば〈私は楽を感受する〉と知ります。
第10 念処経
p.174
Idha, bhikkhave, bhikkhu sukhaṃ vā vedanaṃ vedayamāno ‘sukhaṃ vedanaṃ vedayāmī’ti pajānāti.
Idha, bhikkhave ここに, 比丘たちよ
bhikkhu: m. 比丘, 乞者, 乞食者
sukha: a. n. 楽, 安楽, 幸福
vedanā: f. 受, (苦楽の)感受作用, 苦痛
vā: adv. conj. または, あるいは
訳には含まれていない
vedayati: [vindati の caus.] 知る, 感受する, 経験する; 知らしめる
> vedayamāna > vedayamāno: vedayati の 現在能動分詞 (ppr. m. nom.)
「感受しつつ」「感受する時に」くらいの意味> vedayāmi 一人称単数現在
pajānāti: 知る, 了知する
パーリ語釈: 増補改訂 パーリ語辞典 水野弘元 (春秋社)
修習者が感受するもの
「Aを感受すれば〈私はAを感受する〉と知る」のAとしては、以下のものが挙げられています。
楽を感受する (sukha)
苦を感受する (dukkha)
非苦非楽を感受する (adukkhamasukha)
欲に関わる楽を感受する (sāmisa sukha)
無欲に関わる楽を感受する (nirāmisa sukha)
欲に関わる苦を感受する
無欲に関わる苦を感受する
欲に関わる非苦非楽を感受する
無欲に関わる非苦非楽を感受する
欲に関わる (sāmisa)、無欲に関わる (nirāmisa) の部分がよく分かりません。片山訳の脚注(p. 175)によると、「sāmisa-sukha〈五種妙欲による六の在家の喜受〉」、「nirāmisa-sukha〈六の出家(出離)の喜受〉」と註釈書に書かれているようです。
また、スマナサーラ長老による解説は以下の通りです。(一部省略)
受は、苦と楽と非苦非楽の三つですが、この三つの受は sāmisa か、
nirāmisa かと確認するのです。… Sāmisa というのは、原因があって生まれてくる感覚なのです。いわゆる対象があるのです。… Nirāmisa は sāmisa の反対で、何かに依存しないで生まれる感覚です。… 音から離れた時も何かの感覚があるはずなのです。その感覚が nirāmisa なのです。
アルボムッレ・スマナサーラ
受の随観 (一部省略)
受随観の結果
身随観と同様に、受随観を修習した結果について解説されています。内容としては「身」が「受」に置き換わっています。ただし、「受」は vedanāsu と複数形処格(f. pl. loc.)のため「もろもろの受において」と訳されています。
「受を観つづけて」の部分は、vedanānupassin という合成語から来ているので複数形に訳していないのでしょう。
以上のように、内のもろもろの受において受を観つづけて住み、あるいは、外のもろもろの受において受を観つづけて住み、あるいは、内と外の受においてもろもろの受を観つづけて住みます。また、もろもろの受において生起の法を観つづけて住み、あるいは、もろもろの受において滅尽の法を観つづけて住み、あるいは、もろもろの受において生起と滅尽の法を観つづけて住みます。そこで、かれに〈受のみがある〉との念が現前しますが、それこそは智のため念のためになります。かれは、依存することなく住み、世のいかなるものにも執着することがありません。
第10 念処経
p.175
その5 まとめ
受随観を修習する時は、楽/苦/非苦非楽を感受すれば〈私は楽/苦/非苦非楽を感受する〉と知る、ともろもろの受において受を観つづけて住む。
受随観を修習して、内外のもろもろの受において受を観つづけて、受において生起・滅尽の法を観つづける比丘には、〈受のみがある〉との念が現前し、かれは依存することなく住み、世のいかなるものにも執着することがない。
パーリ文: tipitaka.org
参考訳: パーリ仏典 中部 根本五十経篇I 片山一良 (大蔵出版)
これで受随観は終わりです。
つづく