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正知をもって行動する 中部#10 念処経 読了 その2 (身随観 威儀・正知)
中部#10 念処経 読了記事のつづき(その2)です。
身随観 目次
出息・入息 (ānāpāna, アーナーパーナ)出る息・入る息を観察する
威儀 (iriyāpatha)
行住坐臥を観察する
正知 (sampajāna)
正知をもってあらゆる行動を行う
厭逆観察 (paṭikūla-manasikāra)
身体を構成する三十二の部分を観察する
要素観察 (dhātu-manasikāra)
身体を構成する四大要素(地水火風)を観察する
九墓地 (nava-sivathikā)
墓地に捨てられた死体について九つの状態を観察する
身随観 威儀
(身随観を修習する)比丘は、行住坐臥の四威儀において、次のように身について身を観つづけて住むと説かれています。(威儀: iriyāpatha)
行っているときは〈私は行っている〉と知る
立っているときは〈私は立っている〉と知る
坐っているときは〈私は坐っている〉と知る
臥しているときは〈私は臥している〉と知る
「知る」に相当するパーリ語は pajānāti です。
pajānāti 知る, 了知する
身随観 正知
(身随観を修習する)比丘は、次のような動作を正知をもって行うと説かれています。
進む・退く
真直ぐ見る・あちこち見る
曲げる・伸ばす
大衣と鉢を持つ
食べる・飲む・噛む・味わう
大便・小便をする
行く・立つ・坐る・眠る・目覚める・語る・黙する
「正知をもって行う」に相当するパーリ語は sampajānakārin です。
sampajāna-kārin 正知の作者, 意識してなす
sampajāna a. 正知の, 意識的の, 正知者; 故意の
kārin a. [kāra-in] なす, 行う, 作者
そして比丘は、その身が存するとおりにそれを知る、とのことです。
その2 まとめ
身随観を修習する比丘は、行住坐臥(四威儀)を行うとき、〈私は行/住/坐/臥をしている〉と知る。
身随観を修習する比丘は、あらゆる行動を正知をもって行う。
つづく
参考訳: パーリ仏典 中部 根本五十経篇I 片山一良 (大蔵出版)
パーリ語釈: 増補改訂 パーリ語辞典 水野弘元 (春秋社)