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真夜中の太陽、深夜書店。

 言葉、なんていらない
 やさしい時間、流れてるよ・・・、。
 
 ・・・なにごともなく、晴天、。
 
 ‶同じ空から、光をあびて、〟

 barを営む友人が、先日、多忙のなかにも遠路この詩人の住処(すみか)に訪問してくれた。
 昔日、執筆し、友人へと預けていた旧作品の「深夜書店」生原稿をわざわざ届けてくれるためにだ。しかも手土産に高級食パンまで頂戴した。やわらかく、とても美味しいパンだ。この詩人の老母への温かな心くばりにも、ほんとうに嬉しくて感謝感激だった。
 その訪問によって、老母は、barを営む友人との心地よい語らいのひとときを存分に堪能できることにもなった。
 いっこうに年齢を感じさせない生(なま)の ‶太陽の王子、〟を眼前にして母も若返ったかのごとくだった。友人を迎え、もてなすことができた悦びについても嬉しそうに会話を楽しんでいた。
 
 この日より前には、涼しい時節となっての墓参りの帰路に友人営む、テラス席のある見晴らし最高な店に次兄と母とで食事する時間も過ごせていた。『故郷地の綺麗な空、、。深夜書店。』では叶わなかった、テラス席のある解放的な空間でのんびりランチ・カフェタイムの見晴らしも最高な、店へと母を連れだって行く念願は達成できていた。
 次兄、のおかげだ。
 前回の墓参りでは果たせなかったが、それこそで次兄を母専属のトランスポーター(凄腕運転手)に任命する計画は成ったわけだ。
 友人からの信任厚い腕毛の濃いイケメン店長にも、母は、
「写真(SNSつながり画像)で見るより実物は若くて綺麗ですね」
 なんてことを言ってもらえて、超ご満悦でもあったのだ。

 そそ、
 日頃はあまり気を捉(とら)われないのだが、
 この日はbar営む幼馴染友人がほぼカウンターに立つほうの本格的バーの店のSNSで、
 すごく美味しそうなブルーチーズのことが載ってあった。
 バーテンダーの美人娘さんが店のSNS担当であるとかではなく、
 これは是非とも酒との相性もよさそうなので絶対注文しようと。
 子供みたいにわくわくしたりもした。
 この日、bar営む幼馴染友人が母にSNSの店紹介ホームページのことを親切に話してくれてたのもあった。
 多忙な時間を日々送る、bar営む幼馴染友人は、
 忙しいなかで時間つくってきてくれていた。
 それであるにもかかわらずにそんな素振りを一切感じさせることはなかった。深くソファに腰かけて、老母との談笑のひとときを過ごしてくれたのだ。
 たいがいの者なら忙しい雰囲気をだして、挨拶もそこそこに腰を浮かせるというものだ。
 老母、の感激はいうまでもなく、
 この不肖の息子たる詩人にもよく伝わってきた。
 多忙な時間を日々送るbar営む幼馴染友人は、忙しいなかで時間つくってきてくれていた。
 それであるにもかかわらずにそんな素振りを一切感じさせることはなかった。
 深くソファに腰かけて、老母との談笑のひとときを過ごしてくれた。
 その細やかな配慮といい、そういった所作には遠くおよばないばかりであるこの俺(詩人)などは敬服の念をおぼえた。
 たいがいの者なら忙しい雰囲気をだして、挨拶もそこそこに腰を浮かせるというものだ。
 老母、の感激はいうまでもなく、この不肖の息子たる詩人にもよく伝わってきた。

 この日は、雨が降りしきる一日だった。
 それでも、友人が来訪してくれた日中のひとときには雨足も弱まり、晴れ間さえ見せていた。
 水、が流れ歩くかのような空の景観だった。
 
 心ゆくまでの語らいの後、
 住処にあったグラスを友人のbarで活用してもらえたらとの願いで寄贈できたことにも老母は喜んだ。
 その満面の笑顔で見送られbar営む幼馴染友人は帰った。

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 その際に俺(詩人)はbar営む幼馴染友人の車に同乗させてもらい、友人の営む店の界隈に住まう歌人のところまで送ってもらうことを頼んだ。
 もちろん、夜はbar営む幼馴染友人の店で酒杯を交わし美酒を堪能するからだ。
 
 友人の歌人、の住居までの道中はなかなかに距離があった。
 bar営む幼馴染友人とは店で話すこととはまた違った内容のことも話せた。
 いい、ひとときだった。
 
 目的地に着く前にも、
 塗装業を自ら営む幼馴染友人の会社に寄っていく経路もとってくれたのだが、雨の影響もあって会社に居らず会えはしなかった。
 その分にも電話で、彼の懐かしいマイペースな口調と会話するいい機会にはなった。
 どれだけ歳月を経ても、不変のことはある。

 不幸な者に感情移入することで、幸福を確かめたり、。同情することで、小さな良心を満足させる、。
 そんな生き方をしない「誇り」をもって友人たちは歳月を刻んでいた。
 この俺(詩人)にも友人たちのその生き様から深く諭されることは多かった。
 
 生きる、ということはそんなに面白く、
 可笑しいことばかりではない、。

 
 でも、どうせなら一秒でも多く、誰もに笑顔が咲く時間を過ごすほうがいい、言葉なんていらないくらいに、当たり前のごとくにだ。

 まぶしく、陽光そそぐほんのひとときは必ずある。

 なにもそれは、爽快で澄み渡る晴れやかな空のような心地であるときだけではない。
 心の闇夜にどっぷりとつかり、はまっているときにも、。
 光彩、を感じるときがあるってことを、。

 真夜中の太陽、が在るから ‶月の女神〟は美しく映える。
 またたく星々の儚(はかな)い煌(きら)めきも然り。


 夜はいつも訪れる。
 水、が流れ歩いていくように空の波は静かに打ち寄せ、
 やがて星は瞬(またた)く、。
 水、と太陽の絶妙な距離。獣、への糧と温もり。

 この俺(詩人)にも、
 ずっと遥か四半世紀彼方(かなた)の想念(そうねん)も寄り添うことに気づく。
 友人たちの存在がそれへと導いてくれる。

 「記憶」を隠すことはできる、。
 でも、「想い」を変えることはできない、と。
 いとおしい、面影との会話も甦ってくるようだった。

 ・・・『考えたらわかることやのにな、見えへんだけでいつだって在ってくれるものって、』
 
 おまえは、いつだって寄り添い微笑む、。
 ときには厳しくもにらみつける、
 『過去も未来も超えていくもの』が、伝わってくる。

 『なぁ、こんな気持ちって何処にいくんやろうかなぁ・・・』
 
 、、、しらんがな、。(笑)。
 けど、知りたいって思うねん。
 おまえは、そんな表情をつい浮かべた。・・・

 この世の中は、光と影でできているそうだ。
 影が万事をかたちづけて、
 光がそれを浮かび上がらせるのだと、。

 bar営む幼馴染友人、は接する誰もに温もりをそそぐ、。
 
 水、と太陽の絶妙な距離。
 
 それは心地よい美酒だ。
 自分が知らず知らずに酔ってしまったことに気づかないくらいの、。
 
 一般的には、堕落のきっかけともされるアルコールを
 紳士淑女の嗜(たしな)み、社会交流に華添(はなそ)える美酒へと昇華させるに ‶光〟がどれだけ大切かということだ。
 
 まさにその交流において多くの者は、
 芳醇(ほうじゅん)な美酒を飲むような趣(おもむき)を感じていたことに気づくのかもしれない。
 敬服するようにもなり、自分が酔ってしまったことに気づかない。

 水、が流れ歩くかのような空の景観の下、barを営む友人の愛車に同乗させてもらい世界を観た。
 泣いたように、笑う空模様だった。
 雨、は降り、フロントガラスをときおり濡らした。
 それでも、車中はあたたかな日向(ひなた)のいい香りにつつまれていた。
 
 「思念」を感じた。
 「深夜書店、」という題名は昔日このbar営む幼馴染友人が考え伝えてくれたものだ。
  深い闇夜の刻限にそっと書棚から書物を抜き取る、またはそっとしまう、そんな感触を考えてみた。
 
 この俺(詩人)が宣(のたま)うところの知識を再生させる「思念」を、
 bar営む幼馴染友人が感じたのかどうかはわからない、。
 ただ、伝えたいだけ、、。
 
 心の中に在る、すべての面影に、。

 言葉、なんていらない
 やさしい時間、流れてるよ・・・、。
 
 ・・・なにごともなく、晴天、。
 
 ‶同じ空から、光をあびて、〟

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