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友人の歌人、の話し、、深夜書店。

 「実に素晴らしい!、風にあたる、光を感じる、音を聴く、、その、すべてに、、、。」

 友人、である歌人の言葉だ。

 こころ、に自然に沁みいる「想い」、。
 やがてまた、その心は誰かのこころに入っていく、。
 きっと、ずっと、。

 友人関係なんてものは、自然にそうなっていく、。
 太陽の光そそぐ者も在れば、清らかな水を沁みこませてくる者も在る、獣がじゃれ合うごときの者だって在る。
 数多(あまた)ある彼らや彼女らの「思念」と「憑依(ひょうい)」の関係性も自然の理(ことわり)なのだと考えさせられる。
 
 友情、そのかたちなきもの、。
 なんにせよ、つくろうとしたりなろうとして生まれるもんではない。

 友人の歌人とは、barを営む幼馴染友人の店で知りあったことからも
 ある常連客の話し、自転車旅前夜譚。
 おっさんたち(歌人と詩人)の自転車旅、のいきさつで、
 この俺(詩人)と交友することとなった。
 深夜書店小説内でもすっかり常連である。
 
 LINEトークでお気に入り楽曲の英文歌詞についての雰囲気や、翻訳者について語りあう時間は愉快である。

 友人の歌人は語学力も優秀だった。
 英語翻訳のセンスをもってして、この俺を感銘へと導く話もあるくらいだ。
 
 歌人、が訳した、Can't Stop Lovin' You 、いとおしくてたまらない、って。では、
 この俺の昔日の恋人との哀しい別れ、4半世紀の歳月経ての「想い」の本質を解き明かすことに大活躍してくれた。

 永遠の面影が「想い」を託した本の書き込みに触れて、
 英文楽曲の訳詞題名が友人の歌人の見解での訳となって、
 心、に沁みたときは真面目に涙したほどだった。

 それにせよ、
 友人の歌人の人物像を評して語るのにはどこかしら回りくどくなってしまう。 
 
 水、が沁み込む感覚だ。水、は濁(にご)りやすくもある。
 濁ってしまったら、なにもせずに、ただただ静かに待つしかない。
 濁った水が清らかになるのを納得するだけ時間を待つしかないのだ。


 そそ、友人の歌人は回りくどい人物で、よくも悪くも空気が読めないことは多々ある。
 K Y だ。
 LINEトークなんかでは、こちらの執筆状況なんて思いやる配慮もなしにズカズカ攻めてくるのだ。
 それには大人げない反応をさせてしまうこともある。
 時にこの俺(詩人)はそのことで激しく怒りをぶちまけたこともあった。
 ・・・当然面白かったりもする反面、どんなことにも間合いは大事ではあることを痛感した。
 
 以来、すこしは過激なLINEトークはおさまった。
 だがそうなると、妙に味気なく思うのも彼の人柄が成す人徳じみたものであるのかはしらん。
 
 友人の歌人は、女子高生、JKがど~たらと冗談ネタも飛び交わせる変人である。
 だが、けして変態ではない。
 
 心、が純粋すぎて困ることもある。
 友人の歌人、の若かりし時代の恋人とのツーショット画像がLINEで大量に送られてきたりもする。
 大体、その標的にされるのは、この俺(詩人)だけではなくbar営む友人であったりするのだった。

 その行為では過去の話しが多すぎる!、
 なんて意見がでるかもしれない。
 
 だが、懐かしさとはなにか、、。
 
 思い出すこと、そういった想いを必要としない者は在るのだろうか。
 懐かしさにいとしさを感じ写真を大切にする。
 精神の安定につながり、生命の温もりを感じさせることではないのか。
 
 写真、もまた書物なのだと思う。
 
 書物に触れること、若いころは知るために触れる。
 年齢を重ねてからは味わい直すために読む。


 「…純粋な愛とは、」なんて言葉も、。
 自分がまだ何者でもなかった頃の恋愛、にこだわるのはそのためかも、。

 深い闇夜の刻限にそっと書棚から書物を抜き取る、またはそっとしまう、そんな感触を考えてみてほしい。
 そそ、「深夜書店、」という表現も知識を再生させる「思念」である。
 「思念」を憑依(ひょうい)、と捉(とら)えたら説明しやすいのだった。

 憑依、の感覚は書物の書棚からのぬきさし、その感触にも似ているのだ。

 おっと、友人の歌人、の話し、だったな。

 暇(ひま)、という言葉にもこだわりをもつ人物だ。
 金銭欲得、から離れてみることにも、。

 今、これからすぐに儲からないことに時間をかけてみる勇気は大事で、
 実はそれが本当にやりたかった選択なのかもしれないと考えることだと思う。

 金や財産がすべてではないのは確かなことだ。
 大切なことは遥かにある。
 けれど、金や財産を否定することは社会生活の信頼を否定することと同じである。
 金、に対する悪い感情は持たないほうが良いうえでの話であるが、。
 
 他者を欺(あざむ)き自分を正当化したらきっとその者には処罰が下る。
 ってだけのことだ。

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 生きた証、友人の歌人は遅筆ながらも作品をせっせと残している。
 けして名ばかり歌人ではない。
 とはいえ、俺(詩人)は過激なLINEトークに魅了されて執筆が遅れるのを避けたいという邪念(じゃねん)まじりに、
 「もっと作品を投稿しろ!」だの「翻訳や楽曲についての記事を書け!」などケツを叩いている。
 つーか、叩きまくっている。
 何かに夢中になってる時が、bar営む幼馴染友人(太陽王)や俺(詩人)が過激なLINE攻勢から遁走曲(とんそうきょく)奏(かな)でられるひとときなのだ(笑)。

 おっさん(歌人)は回りくどい人物で、
 よくも悪くも空気が読めないことは多々ある。
 K Y だ。
 
 叩く?。
 そそ、幼馴染友人が営む店のバーテンダー、美人娘さんなどは常連である歌人への対応は凄腕ドラマーばりの見事さだ。
 「それは駄目です、」との言を連打して歌人の不愉快発言、パワハラ行為をきっちりとやめさせるのだ。
 美人娘さんのその少し怒った顔もまた格別ではあり、本人も気づいていないくらいのドヤ顔がなんとも可愛らしいのだ。
 それを見たさに歌人が不愉快発言、パワハラ行為をするのかは知らんけど、(笑)。

 友人の歌人、には西行(さいぎょう)なる人物のことをよく話して、その心を叩くように俺(詩人)もしている。

 【西行、〈1118~1190〉。漂泊の歌人。
 名家に生まれて当時の出世コースを歩んでいたが、保延6年(1140)全てを捨てて出家した。
  代々、勇士の武門であるため、鳥羽法皇の北面の武士として仕えていたが、誉(ほまれ)ある身分を捨てたのだ。
 お坊さんになっても、どこの寺にも属さず修行して過ごしたという。

 ひとり国中を旅しながら、五・七・五・七・七のなかに想いを託して歌を詠み続けた。】
 と、西行の話しはまた機会あれば語りたいものだ。

 生きた、証。過去、を未来へと託す。

 友人の歌人、から今朝もLINEトークがきた。
 さわやかな陽射しのなか、単身で自然風景求めて着想(ちゃくそう)の自転車旅に出るようだ。
 俺(詩人)のこころの景色にも、心地いい「涼」やかな風がながれてきた。
 清らかな水に染み入る、うららかな想いを、どんな歌作品に仕上げるのかは楽しみだ。

 水、が沁み込む感覚だ。水、は濁(にご)りやすくもある。
 濁ってしまったら、なにもせずに、ただただ静かに待つしかない。
 濁った水が清らかになるのを納得するだけ時間を待つしかないのだ。


 「実に素晴らしい!、風にあたる、光を感じる、音を聴く、、その、すべてに、、、。」

 友人、である歌人の言葉だ。

 こころ、に自然に沁みいる「想い」、。
 やがてまた、その心は誰かのこころに入っていく、。
 きっと、ずっと、。

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