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早見和真「イノセントデイズ」と猫の避妊と医者の権利の話

早見和真「イノセントデイズ」を読みました。
ある不幸な境遇の女性、田中幸乃が死刑宣告を受けるところから話は始まります。理由は、捨てられた元恋人に執拗に付きまとい、挙句その妻と双子の赤ん坊を、嫉妬に狂って焼死させた罪です。その判決の根拠となった理由に基づき、彼女の過去が、彼女と関わりを持った様々な登場人物の視点から語られていきます。

ちょっとした行き違いから、どんどん闇堕ちしていく幸乃の人生は、一つ何かが違っていればもっとまともな人生を送れたのに…とやるせなさを感じさせつつ、本当に彼女は殺人を犯したのかどうか、緊迫した展開で、ラストまで一気に読ませます。

にしても、なぜ人というのは、悲惨な境遇の物語に心惹かれるんでしょう。例えば映画で言えば、
「嫌われ松子の一生」しかり、
「ダンサーインザダーク」しかり、

フィクションならば、せめてハッピーエンドを望むところ。しかしお安いハッピーエンドならば、むしろ不幸な主人公の物語の方が、カタルシスを得やすいのかもしれません。

ただそれをしんどいだけの作品に終わらせないのが、送り手の妙であり、手腕。「ダンサーインザダーク」ではビョークの力強い歌唱「嫌われ松子」においては「裏ディズニーランドを意識した」という、監督のキッチュでカラフルなお伽話のような演出等等、さすがだなぁと感じる所以です(「嫌われ松子」は、私の大好きな映画の1本。映画を見て号泣。原作も読んで、これまた号泣)。

「イノセントデイズ」では、絡み合う多くの人物と幸乃との境遇を丁寧に描写することにより、「田中幸乃」という人物を浮き彫りにしつつ、日頃テレビで目にする凶悪犯というのは、報道された通りの悪人なのか?という疑問、また異なる視点を持つ大切さ、というメッセージ性を感じさせます。

と、あまり幸乃に言及すると小説のネタバレになってくるので、このお話の中で「ああそうか」と思ったそのほかの気づきの部分。

登場人物の中に、2代にわたり産婦人科医という親子が登場します。この父と息子は望まない妊娠をした女性への対応について、真っ向から対立します。

《引用》
「せめて話だけでも聞いてあげるべきなんじゃないかな」
ある日の夜、いつものように女性を追い返した父に、丹下は珍しく強い口調で言った。父もすぐさま声を張った。
「産科医の使命は一つでも多くの命を取り上げることだ。粗末に扱うことではない」
「女性の苦しみを取り除いてやることも立派な使命だろ」
「お前がそう思うのなら、一本立ちしたときにやればいい。だが、私はそうは思わない」
《引用終わり》


父が亡くなると、息子は自分の信念に従い、堕胎も請け負う産科医として業務を行います。ところが今度は、そのまた息子が「人殺し医者の子供」としていじめを受け、親子の間には溝ができます。自分は間違ったことはしていないと思いつつも、その後妻を癌で亡くし、息子夫婦の間にできた孫を偶然取り上げることになったことで、彼はその後堕胎が行えなくなります。

ああ、医者も辛いんだ
当たり前だけどそんなことに気がつきました。

私は猫を何匹か飼ったことがありますが、ある雌猫の避妊手術に行った時に、先生から「既に妊娠している」告げられました。手術は避妊から中絶手術に変わりました。
その時に生まれることを止められてしまった数匹の子猫たちのことは、しばらく私の心の中に暗く残っていました。

この時の私からすれば、1匹の猫の1回だけの中絶への罪悪感ですが、堕胎を請け負う先生にしてみれば、対応した手術の数だけ失われた命の重さを感じることになる。
中絶に反対する医師について、「男性上位で女性の辛さがわからないからだ」、という意見もありますが、別の視点から見れば、(法的には罪ではなくても)自分が命を消す手助けをする後ろめたさを、ずっと心に持ち続ける辛さは容易に想像がつきます。

実際、小説の中でも堕胎を行う息子の方の医師は、「患者に感情移入しないこと」を心を安定する手立てとして選びます。ところが確執のあったそのまた息子夫婦の思わぬ要請により、孫を、妻に似た目元の赤ん坊を取り上げだことにより、彼は自分の中に生まれた感情(おそらくその後のすべての胎児に、孫が見えてしまう)を、もう無視することができなくなるのです。

先程の引用部分の後、彼の父親がもう一言呟いています。

《引用(続き)》
父はそこで口をつぐみかけたが、断ち切るように頭を上げた。
「いや、それだけの覚悟が私にはない」

望まぬ妊娠の問題の中には、医師の「やりたくない(中絶手術を強制しない)権利」というのも俎上に上げるべきなのか…(少なくとも医師の心の問題に焦点をあてる必要性はある気がする)
緊急避妊薬の使用も、命の軽視につながらないのか…
不幸な妊娠中絶をなくすためにも、そもそもこういう話を、日常的に真剣に男性女性問わず、広く話し合う機会がもっとあったっていいんじゃないか…

等等思いは広がっていくのでした


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