決断する

よく分からないけれど、高校3年生の1月、センター試験の自己採点をして、研究者になろうと決めた。決めたというか、決まっていた。特に、反対はされなかったか、若くて聞こえてなかったか、世間的な体裁がそんなに悪くない?ので、大丈夫だったか。

高校1年の時かに北米に行こうと決めて、情報収集して、奨学金に応募したのに、家族に却下された。しかし、今、ここに居る。やりたくて、何とか叶えようとしたことを、人に諦めさせられることが、どれだけマイナスのことか、2019年に初めて長期滞在して、身に染みた。願っていたことも忘れていて、叶えるのに30年かかった。

難民すると決めた。というか、決まっていた。日本から逃げろと、何人もの人に、本当に言われたけれど、それがどういうことか、難民支援している人すら理解できなかった。決めてから、反対されてもがき苦しみ、1年1ヶ月かかって正しい人たちに繋がったら、何やってたの?と笑われた。

不当だと思ったほとんどのことを飲み込んで、社会のため人のため、と、闘ってきた人生だった。個人的なことで闘っても、身体に応えるだけだ、無駄が多いと反対されて、それによって、逆に、メタメタになってきた。

個人的なことで立ち上がるのは、闘いの基本だ。個人的なことは社会的なこと。誰もが反対しても、やるということは本物だ、みたいな通過儀礼は勘弁してほしい。

余計な力を奪うな。

自分のことは自分で決める。自分を信じて、自分で決断する。

スピリチュアルガイドが阻むことも多いんだけど、根負けするかどうかも、アタシ次第。

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