自分を誇りに思え

自分の自信のかけらもなくなってるのが、そもそも問題。増長せよ、どころでなく、マイナスなのをやめないと。

どういう仕組みでESLとして辛くなるかを書いたら、会った時から、不思議に意気投合しているお兄さんが、そもそも第二言語で頑張れてることを思い出しなね、と言ってくれた。

それだけで、涙ぐむ。

ずいぶん成長している。まず、noteに文書を用意し始めたときも、発表を始めたときも、きちんと見てもらって、誰かが大丈夫と言ってくれないと、フェブに上げることすらできなかった。

こんなんじゃ、ダメだダメだと、何を書いても言われ続けて24年、自分の何が大丈夫か、全く分からなくなっていた。

確認しなくても発表できるようになるまで、半年はかかったかな。

ちゃんとしたものでなくても良い、と思えるようになるまでにも。

もう、あり得ないくらい書いているし、英語でも平気で書き散らかしているけれど、間違ってるとか、下手とか、そういうことを言う日本語話者のことはどうでもいいと、思えるようになっているのも、結構すごいと思う。

なぜ、トラウマが繰り返されるのかも、似たような人間関係が繰り返されるかも、全く分からなかった。繰り返し失敗して、やっと可能になってきた。でも、それだって、かなりすごい。

大丈夫だよ、と、自分のインナーチャイルドに囁く。

高い声で、ナイス、と。

久しぶりに録画しながら解説をしてみたら、日本語だけで考えることが出来なくなっている。語彙体系が、英語に置き換わっていて、日本の語彙体系の中のみでの発想に限定して話すことが不能になってる、みたい。

第一言語を失う移民にならないように、頑張っているんだけれど、そのためにもがいているんだけれど、新移民には伝わらない。

新移民は、ニッケイについて学ぼうとしないし、ニッケイは移民したばかりのこと、大変だったことを忘れる。それにより生まれる古典的な齟齬を、しばしば目撃する。

それを見て、苦しむ。何も自分のせいではないんだけれど、知ってしまっているから。

そういうふうに、教育は、人に知をもたらし、同じ苦しみを繰り返さないように、社会が変わるように、人を尽力させる。

アクティビストスカラーに、戻ろう。

その気持ちを取り戻そう。20代になりたての頃の、フレッシュな気持ちを、思い出したい。

もどかしさと、がむしゃらさと、前向き。ひたむき。それに、老成したスピリットと、経験を加えて、成熟したアクティビストスカラーになる。

そんなふうに生まれ変わった、満月の日。

レオムーン。

獅子の月。

ライオン。

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