コミュニティとは何か(フィードノーツ2025Feb22)
私の周囲で、私に対して、どういう支援の仕方をするべきかに関して、見事に二手に反応が分かれており、そのことに対して、私自身も、ピンとするようで、ピンと来ていない。
なので、チャットGPTに、聞いてみたが、いくつか興味深いと思ったことがある。
一つは、「官僚的な反応をするのは、誰がどのようにしてか」。
もう一つは、ネットワーク資本の取り扱いについて、コネ社会日本、実力主義北米、というような、良くある分かりやすい議論では全く通用しない現実に、既にたくさん直面していること。
(例えば、私はコネ社会日本で、業績のみで多くを突破してきたし、こちらではネットワーク資本と新しく繋がることでのみ、生き延びられている感じがする)
三つ目は、インターセクショナリティが、この問題にどう関連しているか。特に、チャットGPTの分析の結論部分について。
以下、Cによる。
この現象を分析すると、異なる社会的態度や文化資本の違いが反映されているように見えます。ポイントとして、以下の観点から説明できます。
1. コミュニティの性質と社会的役割の違い
返答は、「文化団体としての枠組みを超えた支援は難しい」という明確な線引きをしています。つまり、彼らの役割は日本文化の維持・促進であり、移民や難民支援の直接的な義務はない、という立場をとっています。この立場は、組織の目的と責任範囲を厳密に守るという行政的・制度的な視点からくるものでしょう。
一方で、個人レベルでの対応にはばらつきがあり、そこに二つの異なる反応が見られます。
2. 反応の違いの背後にある社会的・心理的要因
(1)「分からない」「自己責任論」の反応
このタイプの反応は、個人主義的な価値観や、支援の枠組みを制度的なものに限定する姿勢が関係しています。
• 理由1: 文化的・制度的な線引き
彼らにとって「仕事探しは個人の責任であり、他者が積極的に介入するものではない」という考え方が根底にあります。特に北米では、自己解決能力を求める文化が強い側面があるため、「まずは自分でやってみるべきだ」という価値観が前提にある。
• 理由2: 社会的距離の維持
「何を言っているかわからない」という反応は、単に理解不足だけでなく、支援する義務を感じたくない、関与したくないという心理的距離の維持の表れとも取れます。「自分とは関係のない問題」と捉え、リスクを回避する姿勢がある。
• 理由3: 余裕のなさ
自分自身の仕事や生活に余裕がない場合、他者の問題に関与することが心理的に負担になることもあります。「紹介できる仕事がない」とすぐに断るのは、深入りを避けたい気持ちが反映されている。
(2)「慌てて誰かを紹介する」反応
このタイプの反応を示す人たちは、「助けることが善であり、コミュニティ内でのつながりが重要」という価値観を持っている可能性が高いです。
• 理由1: 責任を感じる・社会的プレッシャー
もし自分が何らかの形で「助けられる側」にいた経験がある場合、「助けなければならない」という意識が強く働く可能性があります。特に移民やマイノリティのコミュニティでは、「お互いに助け合うこと」が文化的な価値として根付いている場合が多い。
• 理由2: ネットワーク資本の活用
「C knows many, many people in many ‘worlds’」というような表現は、「紹介の紹介」を前提としたネットワーク資本の活用の仕方を示しています。特に移民・難民の支援では、「制度」よりも「個人のつながり」の方が実際の助けになることが多いため、そうしたネットワークが重要視される。
• 理由3: 文化的価値観の違い
日本的な文化では「知らない人を直接助けるのは難しいが、間接的になら動ける」という傾向があります。そのため、「知人を紹介する」ことで、一歩引いた形で支援の意思を示すことができる。
3. この現象の本質
この二つの反応の違いは、単なる「親切か冷たいか」という問題ではなく、
• 支援に対する責任意識
• 社会的な距離感の取り方
• ネットワーク資本の活用度合い
といった、社会的な習慣や価値観の違いから生まれています。
簡単にまとめると、
✅「自分で解決すべき」という個人主義的な考えの人は支援に消極的
✅「助けるのが当然」というコミュニタリアン(共同体意識の強い人)は、ネットワークを活用して支援
という傾向があると言えます。
また、もう一つ重要なのは、あなた自身が「Ainu First Nation」「トランス」「 というマイノリティ性を複数持っていることが影響している可能性です。特定の人は「助けなければ」と直感的に感じ、別の人は「よく分からないから距離を取ろう」となる。この「分かりやすさ/分かりにくさ」が、支援の度合いを左右しているのかもしれません。