グッナイ、「インターステラー」
この人は、何度人類を危機に晒し、何度地球を滅亡させればいいんだろう。
暇さえあればSFやパニック映画を見ていた母に対し、私は疑問と少しの呆きれの感情を抱いていました。実家にはテレビが一台しかありません。母が観ていた映画をなんとなく一緒に観ることも多かったのですが、常に緊張感が流れ、必ずしもハッピーとは言えない展開ばかり。何が面白くて母はこの作品を見ているのだろう、とまで思っていました。
グッバイ、「トレマーズ」
私が幼稚園児の頃、母が映画「トレマーズ」(1990年)を鑑賞していた時のことは、今も鮮明に覚えています。同作は、砂漠の町を未知の地底生物が襲うパニック作品。地底生物は巨大で、口がかなり大きく開いて、ネチョネチョのグチョグチョで、気持ち悪くて…さらに、建物や車の中にいても、人間に容赦なく襲いかかってくるのです。
幼かった私は、あまりの恐怖から逃れるため、コタツの中に潜りました。ヒーターに当たりすぎないよう、隅っこでダンゴムシのように丸く縮こまっていたところ、そのまま眠りについてしまい、脱水症状を起こしかけました。それからというもの、庭から地底生物が襲ってくるかもしれないという恐怖にかられ、家の外に出るのを躊躇う日々が続きました。
ハロー、「インターステラー」
母の趣味を長年理解できないまま生きていましたが、大学生になって時間にゆとりができ、私も映画に没頭するようになりました。特に、昨年閉館した大阪のテアトル梅田には通い詰めました。人の出入りが激しいロフトの入り口の真横にある階段。人気の少ない階段を一段ずつ降り、少しずつ薄暗くなる中で、今日出会う映画に思いを寄せる時間がとても好きでした。しかし、母が観ていたような作品はあえて避けていました。そこには「トレマーズ」の恨みも少しはあったかもしれません。
映画や本が好きで、この頃はエンタメ系の一般企業でアルバイトをしていました。ある日、バイト先のママさん社員から「代わりに観てきてくれない?」と、一枚の試写状を受け取りました。その試写会のスタート時間は19時。保育園に息子さんを預けているママさん社員は物理的に行けないため、代打で行って、感想を教えて欲しい、ということでした。
作品は「インターステラー」。クリストファー・ノーラン監督のSF作品です。SFとは縁を結ばないようにしていましたが、いつもお世話になっている社員さんの頼みは断れません。ありがたく受け取って、行ってみることにしました。
人それぞれ価値観が違いますから、この映画に対してもいろんな感想があると思います。ただひとつ自信をもって言えることは、私にとって今もこの作品は映画館で観た映画史上No. 1だということです。
冒頭、元NASAのエンジニアだった主人公が、ドローンを追ってトウモロコシ畑を車で疾走するシーンがあります。舞台は環境変化により、食糧難が進んだ世界。貴重な食料であるトウモロコシを「ルパン三世 カリオストロの城」のカーチェイスのように、とんでもないスピードでなぎ倒してしまうのです。「え、いいの?」と、思わずドン引きしてしまいます。ただ危機的な状況下でも純粋な好奇心に駆られ、動く主人公。疾走感溢れるシーンは、あまりにも美しかった。
169分の上映時間で3度大粒の涙を流しました。ネタバレは好きではない派のため、感想はここまでにします。
グッナイ、「インターステラー」
とんでもない映画に、私は出会ってしまった。子供がぬいぐるみを大事そうに抱えるように、私もパンフレットを両腕でぎゅっと抱き抱えて歩き出しました。なんだか、空が見たい。いつもは会場の梅田ブルク7から大阪駅まで地下ルートで行き来していましたが、この日はあえて地上から帰りました。
横断歩道が青から赤へ変わろうとしました。ただ、余韻に浸りたい私は走りません。気づけば、信号機の真横で、青信号を待つ人々の中で先頭に立っていました。季節はもうすぐ秋。ひんやりした空気がなんとも心地いい。このまま歩き出したら、空へ歩いていける気がする。そう思うほど、心が浮ついていました。
すると、私のすぐ隣にスーツ姿の男性が止まりました。この人を私はよく知っています。私に試写状をくれたママさん社員の同僚。私からすれば、「バイト先の社員さん」です。私はその人に憧れの感情を抱いていました。社員さんとアルバイトでご飯へ行くこともありましたが、その人はいつも隅の席に座っていました。みんなが盛り上がっている時はニコニコして話を聞いて、ここぞというタイミングで、しっかり笑いをとる。出過ぎずに、場を和ます。そんな彼になんだか品性を感じていました。
「インターステラー観てきたの?」バイト先の社員さんはカバンの中に忍ばせていたパンフレットを見せながら聞いてきました。私は思わず「あー!」と同じ作品を観ていたことに驚きと感動の声で反応しました。
信号が赤から青に変わったので、私たちはゆっくり歩き出しました。ただ会話の中身は全くなし。「いや〜すごかったですね」「いや〜すごかったね」と言い合っていました。お互い語彙力は行方不明。私たちの間には静かで、ゆっくりとした時間が流れていました。
これがとても居心地が良かったのです。よく映画の上映が終わると、連れ合いにすぐ感想を言う人を見かけますが、私は好きではありません。映画を観た直後はいろんな感情が渦巻いています。それを一つずつ自分なりに頭の中で整理する作業をすることを大事にしているため、人の意見を混ぜたくないのです。
静かな時間を共有できる。それだけで、きっと彼も私と同じようにとんでもない作品に出会い、余韻の波に身を委ねて漂っている人なんだろうと思いました。
私たちはやがて歩道橋に差し掛かりました。残念なことに私はJR、バイト先の社員さんは阪急で帰ることになります。
お別れの時間まで残り少し。私にとって憧れの人です。「よかったらご飯に行きませんか?映画の感想言い合いましょう」と提案することも考え、何回か彼の顔をチラチラと見ました。彼の目は真っ直ぐに、たまに空にも向けられていました。その綺麗な眼差しに誘うのは野暮だな、と思ってしまった。私も彼も壮大な作品の世界観に包まれたままこの素敵な1日を閉じることが1番の幸せだろう。「おやすみなさい」
私たちは別れの挨拶をして、それぞれの岐路につきました。
ハウアーユー、「インターステラー」
この出来事の後、私は母に「インターステラー」を観せ、2人でその良さを語り合いました。「トレマーズ」もDVDで見返してみました。大人になってから見ると、主人公たちよりも無駄に強い最強夫婦の存在に驚かされ、「意外と面白いかも」と思い直すように。長年の恨みも雪解けしました。
ノーラン監督のファンになり、必ず映画館へ足を運ぶようになりました。コロナ禍の2020年、「TENET」を品川の映画館で鑑賞しました。この時、私が一緒にスクリーンを眺めた人は、「インターステラー」の余韻を共に浸った「バイト先の社員さん」。この人、今では私の夫になりました。
ある時夫が教えてくれました。「インターステラー」を観終わって、道端でばったり出会ったあの時のこと。彼は「せっかく会ったから『一杯飲みに行く?』って誘いたくなったけど、あまりにもお互い余韻に浸りすぎて、言い出すのも野暮だと思った」と振り返りました。その言葉を聞いて、私は空に飛べそうなほど舞い上がりましたが、ポーカーフェイスを装って言いました。「私もそう思っていたよ」と。
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