敏感さをどう生きる?

こんにちは、こずえです。

今日はエネルギーに対する敏感さについてのお話です。

自分の周りの人の本音やエネルギーの状態を敏感に感じ取ってしまう。
それ自体には、いいも悪いもありません。

それをどう扱うかは自由。

「あ、これはあの人が私を攻撃しているだわ!あいつめー!」
となってみたり、
「私が引き寄せているんだわ、私ってダメだー」
となってみたり、
「ただただ情報として受け取る」
という姿勢もあると思います。

でも、敏感な人特有の見落としがちなポイントがあると思うのです。

それは、

「私が引き受けるから!」というスタンス

一見ポジティブで「いいこと」のようにも見えるのですが・・・

敏感さゆえに、
感じ取っていながら何もしないことへの罪悪感
十分なことがしてあげられないという無力感
そういうものに苛まれやすいと思うのです。

しかも、敏感さゆえに使命感も感じやすい。

そして、敏感さゆえに、世の中のドロドロも人の心の暗い部分もめちゃめちゃ感じ取ってしまうので、自分の内側にそれがあるということを直視したくないし、受け入れたくない。もしくは、自分の内側に見るからこそ、自己犠牲や自分を罰するように引き受けてしまう。

だから、大きな使命感と、罪悪感・無力感を抱えたまま、感じることや聞こえてくることを何でもかんでも受け入れて無防備に抱え込もうとする傾向があるような気がします。

でもそれは、
一見、意識のフォーカスが内側に向かっているようでいて、実は外側の世界への適応だったりもするのです。

だから、敏感な人にとって
「自分の好きなことってなんだろう♪」
「私がふっと笑っちゃう心安らぐ瞬間って何かな?」
「私はどんなことをテーマに人生を送って行きたいんだろう?」

ということに意識的であることってとっても大事だと思うのです。
それは、
「私」がちゃんと操縦席に座るということであり、
「周りの人や集合意識」ではなく、「私」として生きる自分の内側にある感覚の声に耳を傾けてあげることだと思うから。

人はつながりあっています。もちろん、相手は私の鏡であり、つながっている。無私の心で生きるって素晴らしいと思うけれど、それは自分という存在を無視することとは違う気がしています。
私が私という体を持ってこの世界に存在しているという、私を通して表現される宇宙の一部があるのだとしたら、私が体験したい、私が世界に現したいこと、それもまた大切にしたいなと思うのです。

だから、ぜーんぶ引き受けなくっちゃ、となる前に、
「私が表現したいこと」「私が喜ぶこと」を大切にしながら、敏感さから感じ取るもの(求められていると感じているもの)との間に交わる部分を見いだせたらいいな、と思っています。

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