7年分の1大会 『蜜蜂と遠雷』 作:恩田陸
恩田陸先生の『蜜蜂と遠雷』を読みました。
直木賞と本屋大賞(しかも初の二度目の作家)を同時受賞した、みなまで言うなの有名作ですね。
恩田陸先生といえば、本屋大賞受賞の『夜のピクニック』をはじめ、『光の帝国 常野物語』『ドミノ』などなど、これまでもいろいろと楽しませてもらってきました。
そんな中で、これまでに今作を読んでこなかったのは、偏に私の逆張り天邪鬼根性のせいでしょう。
まず、この小説のすごいところは、なんといっても全編のそのほとんどをピアノの演奏にあてているところでしょう。文字なのに。
絵のある漫画ですら、音楽というものを表現するのは難しいと言われがちなのに、それを文字だけで・・・。
しかも、演奏は最後にある発表会だけで・・・とかでもないです。本当に最初から最後までずっと、ピアノコンクールの出場者たちが多様なクラシックを奏で続けています。
その物語を可能にしているのは、前述の先生の他作品などにも見られる群像劇の巧みさでしょう。
今作は何人もの登場人物たちがモノローグをバトンリレーしながら物語を紡いでいきます。恩田先生のこういう作風が私は好きです。
例えば、Aさんがピアノを弾いているシーンがあるとします。
すると、その曲を弾いているときのAさんの曲に対する気持ちがそこには描かれます。しかし、一転Bさんが観客としてそのシーンのモノローグを担当すると、Aさんへの思いを含めながら、その曲やAさんの演奏に対するBさんの解釈が述べられます。
芸術への解釈というのは人の数だけあります。それを、演奏側と拝聴側で組み合わせてシーンを生み出すわけですから、その進め方は倍々どころか乗々で膨らんでいきます。
ただ、これは実際にそれだけの人間がいた場合で、現実はその解釈全てを恩田先生自身から生み出さなければならないわけです。
私なら絶対に逃げ出すでしょう。
実際、文庫版の後書きでは編集さんによる恩田先生のかわいらしい「もう無理だあ」がいろいろと暴露されています。
また、これを可能にしたのは、7年以上の長期連載というのも関係があるのではないかと思います。
その間もちろん他の本を書いたりお話を書いたりされますし、恩田先生ご自身にも変化が生まれるわけです。
それが登場人物たちのコンテストを通じての音楽館への変化にも多少影響を与えているのではないかなと思います。
連載小説っておもしろいですよね。
書き下ろしではなく、連載じゃなければ絶対にならないような展開や文章というのがあります。
締切に追い込まれた背水の陣がなせる技なのか、来月の自分に託す無責任あ今月の自分なのか。
コンサートというライブを描く物語として、作家のライブ感というのは、ある種必要不可欠だったのかもしれません。
そして、それが読み手に伝わるからこその魅力が十二分にあるように感じます。
ところで、この作品のタイトルですが、ものすごくわかりやすく「タイトル回収」されるわけではありませんが、どちらの単語もちょこちょこと類語の皮をかぶって登場しています。
主人公の1人が養蜂家の子なので、蜜蜂は彼を意味すると考える人もいるようですね。
私は蜜蜂は音楽家で、その巣が閉じ込められた音楽だと思います。
そして、遠くの方で鳴る雷が、今作の主人公たちなのではないかなと。
その雷が蜜蜂に近づいてきて、その巣に損害を与えるのか、それとも何事もなかったように、その音は消えていくのか。
そんなお話だったのではないかなと思います。
言葉にすると、安っぽいですね。
やっぱり無しにします。
なんか、そういう言葉で一意に定めるものではないです。
ただ、すごくいいタイトルだというのは間違いないです。