エッセイは日常に溶かすように少しずつ読むのがちょうどいいのだけど(読書記録:壇蜜日記)
ふと壇蜜さんのことを思い出した。
思い出すきっかけとしてテレビやネットでお名前を見かけた訳でもないのだけど。きっと私が今自分に似合うワンピースを探していて、昔「壇蜜に似てる」と言われたことを無意識に浮かべていたのかもしれない。
(顔立ちは似てないのだが。似合うスタイル、似合う色合いが壇蜜さんと私は同じだから雰囲気が近く感じられるのは分かるといったところ。)
私は彼女の特別熱心なファンというわけでもなく、テレビを見る方でもなかったので、彼女について元々知っていた情報はかなり少ないと思う。
他に記憶に残っているものとしては、とある女性作家が「男は『壇蜜は他と違うんだよ、知性があって…』というけど結局お前も壇蜜の容姿に惹かれているんだろう!」のようなことを書いていたことくらい。(大分うろ覚え)
まぁそれも一理あり。それでも多くの人に”何か違う“と感じさせる彼女に、テレビで見かける立ち振る舞いや選ぶ言葉には私も同じように魅力を感じていた。
どうしてこのお仕事をしていたんだろう。
あんな魅力を持っている人は何を考えているんだろう。
今までどんな出来事があって、どんなことを思ったんだろう。
今、何を見てるんだろう。
彼女の言葉を聞いてみたくなり、思い立った翌日には手にとっていた。
結果、とても良かった。
「エッセイは日常に溶かすように少しずつ読むのがちょうどいい」というのが持論なんだけど、なんと半日で読み終わってしまった。
『淡々と葛藤している』そんな表現が合いそうな文章だった。
強い否定もしない。強い肯定もしない。ただあるがままを見つめているところに、不思議な心地よさがあった。
面白いのは「いつまで壇蜜をやれるのか」「壇蜜になったばかりの頃」と、“壇蜜”を纏った一人の女性としての文章だったところだ。
"壇蜜"と彼女の境界線はあえて少しぼやかしている印象を受けたけど、しっかりと、逆らえないほどに自分がある人。
うまい言葉が見つからないのだけど、あぁ多分この人は死を身近で見て考えてきた人だな、となぜか感じるのだ。
なるほど葬儀屋さんでお仕事をしていたことがあるのか。でもきっとそれよりずっと前から死について考えたことがある人だろう。
これも好きな部分。
エッセイを読んでいて改めて、私は素敵だなと思った人のことを知りたいという気持ちが強いのだと思った。
雰囲気が素敵、紡ぐ言葉が素敵、手つきや目線の運び方が素敵、素敵と思った人のこと、もっと内側を知りたくなる。
昔は、知りたいと思ったときにずけずけと質問をしたい(できないけど)なんて思っていたし、今もそう思ってはいるのだけど。最近はその人の話すタイミングを待つのも悪くないなと思うようになった。成長しました。
私との関係性、その人の心、私が変わって、相手が変わって。必要なとき、話そうとなったときに、自然と会話になるのかな、なんて思うのだ。
壇蜜日記は彼女が32〜33歳の時のエッセイのようだ。
私は今年31歳になる年。今この近い年齢、仕事に悩む時期で手にとったからこそ感じられるものがあるのだろう。他のどんな時期に読んでも今と同じ感覚は抱けないように思う。
仕事に追われ自分の時間もなく毎日力尽きて乾いたスポンジのような私の心には、するすると染み込んでいく言葉たちだった。
『壇蜜日記2』も続けて読もうと思う。