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絶歌 #塚本本棚

理解することが困難な存在

今日は「絶歌( https://amzn.to/2V6A0X0 )」元少年A (著) #塚本本棚

何千人か何万人かに一人だろうか?全く理解できず、行動予測もできない人間に出くわすことがあるが、著者はその一人だ。こういう人に出会った自分ができる事は、これまでもこれからも”距離をできるだけ取ること”だけだ。

彼の独り歌には、彼の自己陶酔があるだけではないか。読後感は虚無感に襲われるだけだった。

【本を読んで考えた】
・彼は壊れた自分を嫌悪し、その自分とお別れする前に、最大限のご褒美を自分の肉体に与えて死のうとした

・しかし、それにしては圧倒的なサディズムやダークヒーローと自分を重ねる自己愛もあり、難解である。自らの死に向かう心に、もう一人の彼が抗っているようにも見えるし、精神鑑定にある通り、”自ら死にたいと思う人格”は虚構かもしれないなとも感じる

・目黒区虐待死事件の船戸優里氏は、自己否定の果てに自己無力感や自己決定権の喪失などが起こっているが、Aはむしろ自己を否定しつつもその強烈な欲望に関して全くひるむことなく進んでいる

・生物の死を自分の手でコントロールすることに恍惚感を得ているようだ。生という大きなエネルギーの帰結を自分がコントロールしているという評価の体現が殺害なのか?それ以外に快楽はないのか?

・猫を殺す描写があるが、行為に対するA氏の感情が全く理解できない

・これほど反応が僕と違う生物の輪郭や、その脳内に至るまで異常が見受けられない事も理解できない

・彼は殺意に発散を得ているが、何か抑止力がありつつ、また別のものに発散先を見いだせれば、結果は違っていたのだろうか

・両親はむしろ理解があり、温かい感じすらする。子育ての限界を見ると胸が痛い

・こんな壊れた考え方を持っている自分、こんなことが出来る自分をどこか神格化しているようにも見える

・Wikipediaには初稿に贖罪意識がなく書き直させたとあるが、それでこれなのかとも驚く。第二部がそれなのだろうか?

・本には専門家の注釈などがあってほしかった、それほど理解に苦しむ

・人の体はおびただしい生物の死から成り立っている。それはわかる。その死の山に対して僕らは実感をほとんど持っていないのも事実だが、それと同じ・・・なのか?

・警察のAに対する語り掛けを見ると、警察である彼らは”こういう人たち”を何人も見ているのではないだろうか、と感じる

・逮捕後に、母親は「自分は病気だ」と言う少年Aに対して、「あなたは優しくて、怖がりで、ええ子」だと言っている。親として認知の差に絶望する。親の目というのはこれほどバイアスがかかるものなのか・・・

・第二部はなんだか”とってつけた感じ”がする。文体も変わっているように思うし、ゴーストライターが大幅に修正をかけたようにも感じる

・一見この家族のきずなは完ぺきに見える。そこに違和感が残る

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