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SNS規制の法的根拠~デジタル立憲主義とは何か

ある日、総務省の有識者会議をネットで傍聴していると、見慣れない言葉が出てきました。それは「デジタル立憲主義」というもの。どうやら最近はこの思想が、SNS事業者(Metaやヤフーなどのデジタルプラットフォーマー、以下DPF)に対する規制の論拠に使われているようです。 まだ一般にはあまり知られていない考え方なので、以下にざっくり説明していきます。



概要

言論の場の「デジタル化」

かつては「思想の自由市場」理論が主流を占めていました。これは経済学でいう「神の見えざる手 laissez-faire」の考え方を、言論の場に当てはめたもの。つまり、介入を極力排して参加者の自由にまかせ、できるだけ多くのアイデアや言説を流通させる。すると競争原理が働いて、虚偽や誤りを含む言説が淘汰され、正しい言説が残るという発想です。ある時点までこの「市場」は、正常に機能しているかに見えたのですが……

インターネットの登場とSNSの発達により、様相は一変します。思想の自由市場がデジタル空間へと拡大するにつれて、様々な歪みが生じるようになったのです。

巨大化したDPFの弊害

市場の参加者が増え、情報量が急激に増大するのに伴って、DPFが巨大化し、国家の枠組みを超えて言論の「市場」に絶大な力を及ぼし始めました。これらのグローバルな企業体が収益化のために諸々の機能や広告戦略(ターゲッティング、パーソナライゼーションなど)を発達させた結果、フィルターバブルやエコーチェンバーなどの現象が生まれ、そこからさまざまな弊害が起こるようになりました。それが最近しきりと取り沙汰される “フェイクニュース” や偽・誤情報、誹謗中傷などの問題です。

デジタル自由主義からデジタル立憲主義へ

DPFは今や国家と並び立つほどの強大な力を有しているため、野放しにしておくと「思想の自由市場」における民主的な言論形成の過程が損なわれる、規制をかけなければ……というのが、「デジタル立憲主義」論者の主張です。民間企業であるDPFを、人民の敵であり国家の脅威であると見なして法規制をかけ、支配下におこうというのです。

MetaやGoogleはグローバル企業だから国際法を適用すればいいと思いきや、各国の足並みが揃わないとか国の主権を妨げるとかで、うまくいかない。それぞれの国で既存の法律を用いて規制するにも、外国資本であるDPFにするりとかわされてしまう。インターネットの分野は技術の進歩が速いため、法整備が追いつかないという事情もある。そういうわけで、より広範で長期的な視点が必要であることから、「憲法」が持ち出され、「デジタル自由主義からデジタル立憲主義へ」という流れが作られようとしています。


危険性と課題

利用者の権利を侵害するおそれ

立憲主義の精神にのっとって個人の権利を守るために、DPFを憲法で縛るとか、憲法上の責務を負わせるといった議論がされていますが、そこには危うさも感じられます。国が主導で「デジタル立憲主義」を推し進めていけば、個人の権利を守るどころか、DPFの規制を通じて個人の権利を侵害しかねないからです。

私たち個人が誰でも自由に意見を発信できるようになったのは、インターネット登場以降のことです。それ以前は言論の場をマスメディアが独占していて、個人はそれらのメディアのお眼鏡にかなった場合にのみ、発信が可能でした。新聞の投書欄や雑誌の読者コーナー、ラジオ投稿など、限られた場しか提供されていませんでした。今は各種SNSで個人が好きなだけ発信できるので、マスコミの価値は相対的に低下しています。メディアも政治家もSNSの反応を気にするようになっています。

個人の発信力がこのようにマスメディアに匹敵し、国にとって無視できないほどになったのは、発信の場を提供しているDPFが発達して、国家に匹敵する力を持つようになったから。個人ユーザーはDPFの傘の下にいるからこそ、マスコミや国に対抗できていると言えるのです。もちろんDPFの社会的影響力は諸刃の剣ですし、ネット上の誹謗中傷やデマなどの問題に対処が必要なのは言うまでもありません。

とはいえ、DPF規制は一歩間違えば、個人ユーザーの表現の自由の制限に容易につながります。コロナ禍を機に多くの国で策定された「反フェイクニュース法」は、実際には政権批判を取り締まる口実として利用されることが多いと指摘する専門家もいます(注)。日本でもコロナや震災をきっかけとして、SNS規制を強める動きがあり、関連法案がつい最近国会で可決されたばかりです。


デジタル立憲主義を推進する有識者の中には、国家の役割を強調せよと主張する向きもありますが、国による介入が行き過ぎれば言論統制となります。個人のSNS投稿が国にとって都合が悪い場合、それをデマと見なしてDPFに削除させることが可能になってしまう。現にコロナ禍では、SNSや動画投稿サイトでワクチンを否定する投稿が削除されたり、アカウントが停止されたりといった事態が発生しました。


憲法を根拠とした国の介入が行き過ぎたとき、どう歯止めをかけるのか?
という点については、「デジタル立憲主義」推進派からも明確な見解が打ち出されていません。


表向きは外部のチェック機関とされる組織・団体も、実際には総務省がらみのメンバーが名を連ねていたり、大手DPFから巨額の資金提供を受けていたりして、中立性・公平性が疑問視されます。

https://drive.google.com/file/d/1Iu2W_bSQKFb7SbCB2IPUeleFUQmvlpTg/view?ref=factcheckcenter.jp


憲法解釈の問題

さらに根本的な懸念は、「デジタル立憲主義」が憲法改正の糸口となりかねないという点です。有識者会議の場ではSNS規制に際して、憲法の解釈を改めるとか表現の自由を見直すとかいう意見が出されていて、ぎょっとしてしまいました。

現政権は憲法改正に熱心ですから、その方針に沿ったメンバーがこういう場でも選ばれているのでしょう。憲法を持ち出して権力側が規制をかけることが、言論統制になりかねない……そういう危機感は、有識者会議では共有されていませんでした。マスコミ関係者も参加していたのですが、異を唱える人がほとんどいないのです。

ごく一部の専門家らがこれに警鐘を鳴らしていますが、関心が高まる気配のないまま、規制ありきで話が進んでいます。憲法に関わる議論なら、もっと時間をかけて慎重に進めるべきなのに。憲法の「解釈を改める」ことには、相当の重みがあるはずです。

外資に言うことをきかせるには憲法を「錦の御旗」として持ち出すしかないのか、それとも、政府の政策の一環として憲法改正と私権の制限をしたいのか……SNS規制に憲法を持ち出すことの真意を測りかねています。
「デジタル立憲主義」がごく新しい概念であり体系化がされていないことも、議論の不透明感を増す一因となっています。「一つの明確な理論というよりは問題提起の提示という性格が濃厚」であると、この分野に詳しい憲法学者の曽我部真裕・京都大学教授も指摘しています(前出の記事のコメント欄を参照)。

そうであればなおさら慎重であってほしい。SNSという新しい分野での規制には、旧来の法制度が不適格であり、新しい理論的枠組みが求められることは承知の上です。

SNS規制をきっかけに、デジタル空間だけでなくそれ以外の言論・表現活動への規制が強化されるのでは、という不安もあります。そのような「空気」がすでに出来上がっているとしても、「空気」が「制度」になる前なら、まだ引き返せるはずです。


注:市原麻衣子「国家安全保障とデジタルプラットフォーム規制の現状」(『法学時報』5月号, p. 22-23, 日本評論社, 2024)


【追記】

★5月17日(金)10:00~総務省のSNS規制に関する有識者会議あります。前回から論点整理に入っています。夏頃に意見取りまとめの予定。※オンライン傍聴受付は5/16の10時まで。


★『法律時報』5月号の特集は「情報空間の秩序構想」。デジタル立憲主義とDPF規制に関する論文が掲載されています。


★6月1日に上記の特集をテーマにしたシンポジウムがあります。オンライン・無料。お申し込みは以下のサイトからどうぞ。


【参考記事】


以下は本noteの関連記事です。


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