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人が成長するとはどういうことか
要約
「人が成長するとは、どういうことか」は、単なるスキルアップではなく、人の本質的な成長を促すための新しい能力開発のアプローチを提案する一冊です。本書では、成人発達理論とインテグラル理論を基に、人がどのように成長し、より広い視野を持てるようになるのかを解説しています。
その鍵となるのが「発達志向型能力開発」という考え方。これは、表面的な技術や知識の習得ではなく、思考の枠組みそのものを広げることを目指します。例えば、「正しい答え」を探すのではなく、異なる価値観や複雑な問題に対して、柔軟に対応できるようになることが重要だと説いています。
このアプローチは、人を育てる立場の人だけでなく、自分自身の成長を求めるすべての人にも役立ちます。仕事や人間関係の中で、自分の思考のクセに気づくことで、より柔軟な判断ができるようになります。たとえば、対立する意見を感情的に拒絶するのではなく、多様な視点から理解し、より本質的な問題解決に向かえるようになるのです。
成長とは、単に知識を増やすことではなく、世界をより深く、多面的に理解すること。 本書は、そんな「本質的な成長」を求める人に、新しい視点をもたらしてくれる一冊です。
感想・気付き
・水平的な発達と垂直的な発達
・垂直的発達とは、既存の構築物の上にもう一つの階を重ねるようなこと→高次の発達段階に向かうためには、基本的な発達段階に立ち返り、その価値を再確認、探求し、それを統合するという、退行して基礎を固めることが必要となる。
水平的な発達とは土台を固めるようなもので、垂直的な発達とはできた土台に階段を築きより高いところから物事を見られるようになるようなものである。
基礎がなければ応用ができないように、水平的な発達がなければ垂直的な発達はできない。
強固な基盤なしに次の段階へ成長しようとしたところで失敗するか、できたとしてもすぐに崩壊してしまう。浅はかな人格の上に垂直的な発達が成されたとしたら、その思考力の高さゆえに他人に脅威を与えたり、自らの精神を崩壊させてしまうこともあり得る。
成長のためには、強固な基盤作りと、次に向かう際には振り返って基盤を修復し次に耐えられる基盤へと幾度とない基礎固めが必要となる。
全体の構成要素として必要なものを見極め、それらの統合を志向することで、その取り組みの価値や効果を高めようとする考え方
インテグラルとは、それぞれがそれだけで成り立っているものを、それだけでは解決できない何かしらの課題の解決に向けて、それぞれから必要なものを見つけ出し統合することで新たな視点や価値を見出すことである。
後慣習的段階は、日常の刹那性に気づき、この世界に生まれ死んでいくことの本質的な意味を真剣に探究し始める段階である
実際、なぜ生きてるのか、生きる必要があるのか、という問いに確実なものはない。意味すらないという考え方もあるだろう。
だが、このことを心から理解した上で自分を磨くのか、他者や世界への貢献のためなのか、何かしらの行動を通してこれまでの枠組みとは別の見方を知ること。そしてそれを通して本質的な意味を探究すること。
何か結果で成長するというよりも、探究に対してある種の覚悟を持てることや、これまで築き上げてきたのもと新たな視点を統合して新たな思考を築き上げる過程こそに成長があるのだと思う。
発達は幸福を保証しない
発達したからといって幸福が保証されるわけではない。
価値観・思想が合わなければ抵抗を覚えるように、たとえ高度であっても周りとズレた考えであれば受け入れてもらうことは難しい。
著しく発達した視点は、共感を得られず孤独感をもたらすものになり得るのである。
発達理論の物差しを絶対化しない
テストの点数やIQではそのスコアによって人の優劣が判断される。
そのスコアは人の断片であるにもかかわらずそれが全てかのように決めつけられ善悪まで決められることもある。
発達理論は自らの成長を促したり、人を支援したりと、助けになる理論であるが、発達の段階が定義されていることで、それにより相手を見下したり意見を拒んだりと、IQと同じように人の優劣を判断するのに使用されかねない。発達理論というのも人の全てではなく、あくまで概念的な存在であるから、これを用いて人を測ることは危険を招くこととなる。
・体、心、魂、影
・統合的な治癒と成長を実現するためにはこれら領域の網羅的な探究が必要
・4領域のどれかが欠けていれば、それが全体の成長を妨げる
・どれかを意図的に急成長させようとするのではなく、全てをバランスよく 探究し、それぞれの発達段階においてもたらされる可能性を十分に探究・体験することが真の発達につながる
・発達には忍耐力が不可欠
4領域の全てそれぞれが、独立した性質を持ち、それぞれを引き立てる性質を持つ。逆にどれかが脆ければ、それだけで全体の崩壊へとつながるリスクとなる。
この4領域を全て探究することは、社会的な意味を感じられず、探究する意味すらないと感じられる時もあるだろう。例えば魂を探究する瞑想は仕事に直結するわけではないことから無意味だと考える人もいるだろう。
それでも探究の意味を見出し、継続することが必要不可欠であるから、忍耐力が欠かせないのである。
・高度な発達が社会的に必要とされるとは限らない
・逆に、高度な発達が、現在必要とされている経験や学習を疎かにしてしまうこともあり得る
自らの終わりを受け入れ、社会や人生そのものの意味を探究することに意識が向くとき、これまでの仕事での成長、例えば社内での出世には興味がなくなってしまうこともあるだろう。会社内という、小さな社会で必要とされる力を発揮できなくなってしまうのだ。
自らの思考を深めたり、問題をより本質的に捉えられるようになるという点においては高度な発達が必要とされる場合もあるが、それがその場その時で必要とされるとは限らないのである。
私「I」をそれ「it」として俯瞰することで、現実をよりバイアス少なく眺めることができ、自分が持つ前提の枠組みを検証できるようになる
自分自身を客観的に眺めることで、自分が持っているバイアス・価値観といった思考の前提を知ることができる。この前提を見直すことでよりありのままに世界を見ることができ、同じことに対しても新たな価値を創出できるようになる。
自分自身を客観的に眺める時も、眺める自分の中の前提が必ずあるから、それとして認識できた自分と今の自分とでの前提の違いを見定め、統合していく考えが必要だと思う。
自分自身を脅かしたくないから他者を脅かすのを避けてしまう。これは、不信に基づいて行動しているからだ。
他者に脅威を振るうとき、その矛先が自分に向かうのではないかと怯えてしまう。もし他者に間違った情報を伝えてしまえば、嘘をつく者だとレッテルが貼られてしまう。
こういう脅威を避けるように行動してしまうのは、自分自身を信用しきれていないからだ。
自分が見たものを勇気と情熱を持って真実だと伝えることそのものが、自分への責任であり、自分を信用するために必要な行動なのである。
測定というものは、何が善であり悪であるのかというような我々の認識や判断に大きな影響を与える。目標やそのための行動も何かしらの測定により決められるものである。
全ての判断は何かしらの測定に基づき行われるものである。
何か目標を立てるとき、何かしらアドバイスをするとき、どれもその人の中で良いとされる基準があり、それを基に行われる。
その良いとされる基準すらも、社会的な文化や環境によって型作られてきた価値観や思想により測定されたものであり、その価値観や思想も社会性が変われば変化する。
今目指している目標やすべきことだと考えていることも、全ては自分自身の何らかの測定によるものであるから、今の思考の基になっているのは何を測定した結果なのか、その測定は正しいのか、それは測定すべきものなのかを見直し、自分を型作る何かを俯瞰するのも重要な視点である。
成人発達理論を理解できてはいないが、成長の捉え方に様々な視点を持つための良い機会になった。
最初の方に出てきた、「水平的な発達と垂直的な発達」という概念を知れただけでも良かったと思う。これまで、ただ学習するだけで成長を感じられないことが多々あったが、今後この概念を通して、今学習していることが何になるのかを客観的に捉えられればより成長も実感できて学習が楽しくなるだろうなと感じています。
初めて人の成長に関する理論に触れて、定義されている発達の段階や特徴に「そーか」と思えたり「そんなことあるん?」と思うところもあり、かなり面白い理論だと思いました。
今後も適度に学んでいきたいと思います。