バイデンの演説の翻訳比較その1
バイデンの演説の全文が新聞各紙に掲載されていたので、こんなことは滅多にないと思い、各紙の和訳がどのくらい違うのか、調べることにしました。
「京都新聞」をベースにして、他紙は訳の異なる部分のみ抜粋しました。今回は最初のご挨拶の部分だけですが、それでも各紙表現がいろいろです。ずいぶん変わるものなのですね。
しかし、それが当たり前なんだと思う。なぜかといえば、「毎日新聞」だけ「京都新聞」とまったく同じだったことのほうが、変だなと思ったからです。続きを調べていないからわかりませんが、おそらく「京都新聞」と「毎日新聞」は別のどこかの誰かの翻訳を使い回ししている、あるいはどちらかがどちらかの翻訳を使い回ししている可能性が高いと思われます。
いちばん面白かったのは、
my distinguished guests のところ。
「京都新聞」は「来賓の皆さん」
「読売新聞」は「ご来賓の皆さん」
「朝日新聞」は「気品ある来賓の皆様」
「産経新聞」は「ゲストの方々」
「日経新聞」は「ゲストの皆さん」
ぜんぶ違います。
私は英語がわからないので、どれが正解かとかは判断しかねますが、こうして並べてみると、
「産経新聞」と「日経新聞」は、
「distinguished」の部分をスルーしており、
雑な気がします。
おそらく「distinguished」の部分に「来賓」に含まれる「特別な感じ」があるのだろうと思い、「distinguished」をgoogleで調べてみたところ、「顕著な、名高い、抜群の、すぐれた、(...で)目立って、すぐれて、著名で、有名で、目立って、気品のある」というような意味があるらしい。
「distinguish」に「識別する」とか「はっきり区別する」とか、そういう意味があるみたいなので、「distinguished guests」で、「他とは違う大事にしないといけない客」というような意味になるのかもしれません。
「産経新聞」も「日経新聞」も、それはもう暗黙の了解として、紙面の関係もあり「ゲストはゲストやろ」ということになったのかもしれません。
逆に「朝日新聞」の「気品ある来賓の皆様」は持ち上げすぎてる気がします「distinguished」のもつ「気品のある」という意味に加え「distinguished guests」の「他とは違う大事にしないといけない客」という意味を重複させてしまったのでしょうか。
演説の全文をこうやって調べていったら、いまより英語がわかる人間になっているかもしれません。しかし、おそらく途中でやめるんだろうな。そういう風に生きてきましたから。
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