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ほな最初からそう言えばいいやん病にご注意

 評論家の三浦哲哉さんが土曜日の日経新聞夕刊に「おまかせ拒否の店」について書いていました。三浦さんの故郷、福島県郡山市にある焼き鳥屋さんは焼き鳥を頼むとき、「塩、タレ、にんにく醤油」のいずれにするか訊かれるそうなのですが「おまかせで」というと「できません」と拒否されるんだとか。

 それで自分なりに真剣に考えてハツは塩、砂肝も塩、ねぎまとレバーはタレで頼んだところ、店主がレバーを焼き台に置く前にぼそっとひとこと「レバーはにんにく醤油をおすすめしてるんだけど」そこで私は「ほな最初からそう言えばええやん」と思ったわけで、三浦さんも「最初からそう言ってよ」と書いているんですが、そのあとの三浦さんが実によかったので引用します。

「最初からそう言ってよ、と思わないでもなかったが、やはり、そういうことではない。まずやきとりの味を自分なりに思い描き、店主に伝え、場合によっては協議がなされ、味が決まる。このプロセスに参加して初めて、私はこの店の客になるということなのだ。」

 ここで思考を軌道修正できる三浦さんのような人に焼き鳥を楽しんでほしいからこそ「おまかせ拒否」しているんでしょうね。「ほな最初からそう言えばいいやん」と鬼の首とったった風に振る舞うようでは辿り着けない味があるわけです。表面的な「面白い話」を追いかけてしまうがためにもう一つ奥のほうへ進むことを拒んでしまっていることが私はよくある気がしていて、この三浦さんの焼き鳥屋さんのエピソードを私は教訓として受け止めました。

 教訓といえば今日の読売新聞『編集手帳』に載っていた松尾芭蕉の旅路を辿った写真家の稲越功一さんの言葉もよかったので引用します。

「旅は心のありようで眼に映ってくるものすべて本当のものではなく個々の見方で違ってくる」

 この言葉に対して『編集手帳』が「日々の暮らしも、に違いない」と書いていて「そうやんな!」と激しく同意いたしました。これは何度か書いていますが、私がサザンオールスターズ のことを大好きなことを知っていて「何がいいかわからない」とか「正直サザンってダサいよね」とか「初期はよかったんやけど」とか「オレは桑田佳祐を認めてない」とか、まあ、いろんなことを仰られる方がおられるわけなんですが、私の耳に聞こえているサザンとあなたの耳に聞こえているサザンは違うんです、あなたの知ってるサザンで私の知ってるサザンを判断しないでくださいって思うんですよね。どれだけ感性が研ぎ澄まされてるのか知りませんけど、ことサザンを聞く耳に関していうなら、私のほうがあなたより知ってるんですけどねーって思いながら作り笑いをしています。よく知らない段階で否定してしまうのって、焼き鳥屋さんで「ほな最初からそう言えばいいやん」と突っ込んで喜んでる人と同じです。私はそういう勿体無いことをなるべくしないで生きていきたいと思う。

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