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エッセイ『「聞く力」でおなじみ』

令和4年10月4日

 「聞く力」でおなじみ。我らが岸田文雄ちゃんが首相に就任して1年が経ちました。まだ三ヶ月くらいと思っていたのに早いものです。考えてみたら安倍さんが亡くなってからもうすぐ三ヶ月ですもんね。この調子で時が過ぎれば体感8年後くらいには天寿をまっとうしちゃう気がする。

 さて。我らが岸田文雄ちゃんがこの1年、誰の何を聞いてきたのか。これがよくわからないんです。前任とその前任がとにかく人の言うことを聞かなかったので「聞く力」を標榜すれば「違い」を際立たせることができる、という計算があったんだと思いますが、イメージとしては、党内派閥の偉い人たちの言うことを順番に聞くことに腐心していたのではないかという気がしていて、決してその力は国民に向いていたのではなかったような気がしています。

 政治学者の三浦まりさんは4年前、国政と地方の12人の女性政治家に「政治家の役割は何ですか」と尋ねたところ、全員が「聞くことです」と答えたらしい。そういう政治家ばかりならありがたいことこのうえないですが、いっぽうで、学生さんや一般の人たちは、一方的に自分の意見を押し付けるのが政治家というイメージが強く、自分たちの声を聞いてくれる存在と見ていないとも仰っています。

 一般の我々にとっても、実はこれって都合がいい、というか、偉い人たちからしてみたら、こっちのほうが、つまり、「一方的に自分の意見を押し付ける」ほうが楽ではあります。政治家の皆さんが恥ずかしげもなしに一方的に自分の意見を押し付けることをしているおかげで、一般の偉い人たちも、なんら恥じることなく、その姿勢でゴーイングマイウェイしちゃってる。そういう人たちにとっては、実は我らが岸田文雄ちゃんの掲げる「聞く力」なんて、余計な力であり、その余計な力を抑え込むために、その「聞く力」で自分たちの言い分を聞いてもらうという、たまに一休さんが見せる腹の立つトンチを駆使したのかもしれない。

 なんにせよ、我らが岸田文雄ちゃんが、近頃、国民に対して「聞く力」を使っていないのは確かであり、むしろ、安倍さんが亡くなってからというものの、どちらかといえば一方的に自分の意見を押し付ける側の人に変わり果ててしまったような気がします。先程も書いたとおり、一般の人にもそういう人が多いですから、まぁ、この人たちが支持されるのも仕方ないことだろうなとは思うのですが。

 しかし、いっぽうで政治ジャーナリストの角谷浩一さんは我らが岸田文雄ちゃんに可能性を見出してもいます。8月末の記者会見で旧統一教会の問題について「自民党総裁として率直におわびを申し上げる」と述べたことについて、岸田首相の「謝ってしまう力」が過去の失敗を潔く認め、大胆な行動につなげていくといった重要な役割を果たす可能性があると思っています。と仰っています。
 確かにこの「謝る力」というのは非常に重要です。偉い人たちのなかにも、決して謝らない人がいるいっぽうで、些細なことでもきちんと謝る方もいます。一方的に自分の意見を押しつけてばかりいると、それがニュートラルとなり、自分に非があっても認められなくなり、ついつい他人に責任をなすりつけてしまいがちになります。責任をなすりつけてしまうのですから、そういう人は責任を問われません。責任を問われなければポストを追われることもありません。「森かけ桜」とはよく言いますが、あの方も結局、なんら謝ることなく、責任を取ることもなく、首相であり続けました。
 そこへいくと、我らが岸田文雄ちゃんは、表向きだけかもしれないですが、謝ったわけです。偉い人が謝れるというのは、確かに可能性を感じます。0が0.01になったくらいのものかもしれませんが、0よりマシです。謝る力が知らないうちに誤る力にならないことだけ願います。

※三浦まりさん、角谷浩一さんの言葉については10月4日の「朝日新聞」『「聞く力」からの1年」より引用いたしました。

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