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短編小説『与四郎エレジー』その3

昌子は自分の目を疑った。さっきまで四つん這いになり、死にかけていたおじいちゃんが大きく手を振って全身を動かしている。どうやらダンスを踊っているらしい。遠くからでもわかるくらい膝のあたりが赤いのは、四つん這いで前進して擦りむいたからだろう。お風呂に入るとき、しみるんやろうなー、と思いながら、昌子はだんだん面白くなってきて、さっき見つけたおじいちゃんの杖とズボンを地面に置いて、スマホで踊るおじいちゃんを動画撮影した。近くの保育園だろうか、子供がぎゃんぎゃん泣く声がする。

15秒ほどで止めてからインスタグラムのストーリーにアップした。インスタは別に誰に見てほしいわけじゃなく、自分が面白いと思ったものを反射的にアップしている。そうすれば自分と感覚の似ている人はチェックするだろうし、興味のない人はスルーするだろうし、それ以外のなにものでもなく、自分の楽しみのためにやってるんだから、楽しくない人とは繋がらないし、気になる人のものだけ見ていたい。個人でやっているものなんだから、会社の人間関係を気にする必要なんて無いはずだから、上司の坂上がインスタに熱心なのは知っているが、知らないフリをしている。スマホをしまい、杖とズボンを拾ってから、おじいちゃんに近づくと呼吸の荒さが尋常ではない。子供の声は止んでいる。「ちょっと!!おじいちゃん!!?」

我を忘れ、無心に踊っていた与四郎が目を見開くと、眼前には若い頃のばあさんにそっくりな、さっきのあの若い娘が立っており、こちらを見ている。どうやらまた記憶が飛んでしまっている。そういえば、あの金切り声を聞いたような気がする。なんにせよ、しんどい。与四郎は地面にへたり込んだ。

「ねえ、おじいちゃん?さっきまで四つん這いで立てなかったのに、どうしてダンスなんか踊っていたの?」
「わしはダンスを踊っとったんか」
「あら、知らずに踊っていたの?困ったね。膝もこんなに擦りむいて血が噴き出してるのに。それに息もキレギレやんか。なんもわからんと急に踊り出すておかしいな」
娘は与四郎を心配しているようであるから、少し大袈裟にしんどいふりをしていれば、しばらく自分のことを構ってくれるかもしれない。
「そ、そ、そ、それがのぉ。ごほ、ごほ、ぜいぜい。わしにもな、何がなんだか、よ、よ、よくわからんくての。気が付いたら踊っとった、というよりか、踊っとったのを知ったんは、あんた、えー、お名前はなんじゃったかな」
「昌子です」
「あ〜、昌子さん。昌子さんが、わしが踊っとったて言うまでわしは自分が踊っとったことも知らんかったから、気が付いたら踊るのをやめとったというほうが正しいな」
「それはおかしいですわね。踊っている間の記憶がないっていうことやもんね」

思案する横顔が眩しい。昌子。昌子にもう少し近づきたいが、体が言うことをきかない。どうせなら、昌子が近くにいる間に踊れるスタミナがあればよかったのに。
「あ〜、しんどい。もう、動けんわ。昌子さん、申し訳ないな。通りすがりのじじいのことはもう構やせんから、行ってください。わしはなんとかしますさかいに。また踊れるようになったら家に帰るくらいはワケのないことでしょう」
「そうですか。それなら私は行きますけど、おじいちゃん、絶対無理しちゃダメですからね!」

昌子はその場を去ろうとしたが、これは与四郎にとっては大誤算であった。「そうは言いましても放ってはおけませんわ」とかなんとか言ってくると踏んでいたにもかかわらず、膝を擦りむいて動けないじじいをまさか道端に放置していくことに逡巡しないとは!与四郎は急いで軌道修正をしなければならなかった。

「あ、いや、その、ま、ま、ま、昌子さん!や、や、やっぱりの、わし、今このままでは厳しいわ。ちょいと、その、なんだ。腕を引っ張って、立たせてくれんかの」とそこまで、捲し立てた与四郎は最後に自分の言い放った「立たせてくれんかの」というフレーズに恥じらいを覚えるとともに、いささか興奮をしてしまった。立たせてくれんかの。立たせて。

振り向いた昌子は保育園の子供を見るような目をしていた。「もう!強がりを言うからそんな恥ずかしい頼み方をしないとあかんのですよ。最初っからお願いしておけば、惨めな気持ちにならないんです。さ、つかまって」
差し出された右手を与四郎は、おもいきり引っ張ってやろうかと考えた。ぐいっと、昌子の想定を超える力で引っ張ったら「あれまあ」と声をこぼしたその頃には、昌子は与四郎に絡めとられ、与四郎は絡めとった昌子の背中を撫でるようにさすり、その手を少しずつ脇腹を経て前の膨らみへ持っていこうとしたところ、小さな声で「あかん。いつからこの子はこんな悪戯をするようになったのかしら」しかし、与四郎の顔を見上げたその瞳には非難の色はなく、じっと与四郎を見つめながら「悪戯っ子さん!」といって頬にキスをしたのであった。と、ここまで都合の良い想像をしてみたものの、与四郎には、昌子の想定を超える腕力が残されておらず、右手を掴んだところで逆に一本釣りされてしまった。

右手を掴んできたおじいちゃんをぐっと引っ張ると思いのほか、軽かったので、おじいちゃんの体はふわっと浮き上がり、昌子の両手におさまった。お姫様抱っこしているみたいになったが重さに耐えられなくなることもなかったので、昌子はゆっくりとおじいちゃんの足を地面に付け、手は腰に添えたままにしておきながら、置いておいた杖を手渡し、ズボンは首に掛けてやった。この軽さでは骨も中はほとんど空洞なんだろう。普段ご飯もちゃんと食べてるのかな。それにしても、このおじいちゃんがどうやってしたらさっきみたいにキレッキレのダンスを踊れるんかな。気になることは多々あったが、さっきから、このじじいときたら、自分を見る目が次第しだいに女を見る目に変わっており、正直、鬱陶しかったので、インスタのストーリーにアップして晒し者にしたことに対する罪悪感もなくなっていた。もう関わらないほうがよいという勘が働いたため、「杖も返ってきたし、もう大丈夫やろ。ばいばい」早足でその場を去り、スマホをチェックすると、上司の坂上からLINEが届いていたが、関わらないほうがよいという勘が働いたため、開かずに放っておいた。

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